2005年09月21日

古池に何が飛び込もうと

 どこかの学力試験で、俳句の「古池や蛙飛び込む水の音」の「蛙」を何と読むか、という問題があったそうです。そして35%ほどの学生が正解の「かはず(かわず?)」と正解を出せなかった、という記事がありました。それをもって毎度の事ながら「大学生の活字離れ」などと論じています。私はこの問題の「正解」は知っていました。さらに、作者が松尾芭蕉である事も知っています。しかし、その事を誇るつもりは毛頭ありません。
 この俳句の価値は「池に蛙が飛び込む」という平凡な事象を十七文字で見事に表現した事にあるはずです。私はそれについては全然わかっていません。それを理解していなければ、「蛙」を読めようと読めまいと大差はないのではないでしょうか。
 「蛙」を読めない大学生が35%である、という事より、それを読めるかどうかが「学力」であるかのように結論付ける風潮のほうがより深刻な問題なのでは、と思った次第です。

2005年09月21日 23:50