2005年のマリーンズ戦、心に残った試合

2005/12/31

 2005年のパリーグは、2位通過でプレーオフを制した千葉ロッテマリーンズの優勝となった。筆者は「12球団の中で一番応援するのはマリーンズ」だと明確に思ったのは2004年からという「にわかファン」である。その程度のファンではあるが、この2005年の試合で印象に残ったものを選んでみた。

1.対ホークス・プレーオフ第2ステージ第5戦(10月17日・PB観戦)

 リーグ優勝を決めた試合。今年、マリーンズは二軍もあわせると6回の「優勝」を果たしたが、その中でも一番印象に残ったのは、アジア一でも日本一でもなく、この「パリーグ一」だった。
 この試合は、福岡ドームで行われているものを、マリンスタジアムのパブリックビューイングで見ていた。2・3回に1点ずつ取られ、6回に福浦選手の適時二塁打で1点を返したものの、続く1死2塁の同点機に4・5番が打ち取られ、追いつけない。
 さらに7回、二番手の吉武投手相手に、2死1塁で大塚選手の打席。ここでバレンタイン監督は代打で李選手を起用した。左打者を出せば、ホークスが三瀬投手を出してくる事は分かっている。李選手は対左の打率が極端に低いから、そうなれば「代打の代打」だ。そして、予想通りの展開となり、この接戦にも関わらず、李選手は打席に立つ事もなく、垣内選手に交替した。本塁打・打点のチーム二冠王を相手の投手交替をさせるための「当て馬」にしたわけだ。
 しかも垣内選手は、シーズン終盤から不振をかこっていた。年齢も年齢だし、来季の契約すら微妙な状況。しかし、ここでは期待に応え、左翼手前に落ちる安打を放ち、二死1・3塁とした。自らの手で選手生命を救ったような安打とも言えるだろう。
 この絶好機に登場するのは、前の回で安打さらには盗塁し、1点差となる本塁を踏んだ西岡選手。得意の三塁打が出れば一気に逆転する。そのため、マリンスタジアムは当然ながら大きな盛り上がりとなった。そして、西岡選手の打球は三瀬投手の球を捕らえて外野へ。しかし、左翼手のカブレラ選手が判断良く突っ込んできてダイレクトキャッチ。マリンスタジアム全体が落胆の雰囲気に包まれる。それは、一塁に達していた西岡選手も同様だった。あまりの悔しさに塁上に座り込み、しばらくそのままだった。

 ここまで策を凝らし、しかも的中したにも関わらず、あと1点が入らない。2連勝後2連敗というシリーズの流れもあり、この時点では敗戦を覚悟していた。そしてその裏、1死から鳥越選手が歩き、的場選手が送って、一昨日にサヨナラ打を放っている川崎選手にまわる。そして川崎選手は1・2塁間に鋭い打球を飛ばす。「ダメ押しか・・・」と思った時、その打球は二塁の早坂選手が横っ飛びでつかんだ。早坂選手は堀選手の腰痛で急遽この試合で「今年初の一軍戦出場」を果たしている。その選手が、この大舞台で美技を見せ、追加点を防いだのだ。

 そしてむかえた8回表、打順は先ほどの美技の早坂選手から。しかし、バレンタイン監督はここで代打を送った。登場したのは初芝選手だった。既に引退セレモニーまで済ませている初芝選手。その時に、「日本シリーズを制してバットを置きます」と語っている。しかし、それを実現させるには、残り2回で2点以上取るよりない。
 マリンスタジアムの熱気も最高潮になる。しかし、その打球は当たり損ねの三塁ゴロだった。誰もが一死を覚悟しただろう。しかし、その直後、信じられないような光景が起きた。三塁手のバティスタ選手と川崎選手がぶつかり、バティスタ選手は何とか一塁に投げたもののセーフとなった。当たり損ねとはいえ、初芝選手の足を考えれば、慌てる必要のない打球だ。にもかかわらず、今季何十試合も三遊間を組んでいた二人の呼吸があわなかったのだ。本来なら、「プロ最後の打席」となるところだったのが、一転して「同点の走者」になってしまった。
 この作っても生じないような一つのプレーで試合の流れは変わった。続く福浦選手が安打で1・2塁とする。右打者が続く事もあり、ホークスは抑えの切り札の馬原投手を投入する。対して4番のサブロー選手が倒れたものの、続く里崎選手の打球は、左中間を真っ二つに抜いた。二塁の初芝選手がまず生還して同点、そして一塁からも福浦選手が本塁へ突入する。これで3対2と逆転した。マリンスタジアムの大画面で、里崎選手の打球がフェンスに達したのを見た時、一瞬、時間が止まったような不思議な感じだった。

 その裏は薮田投手が四球を二つ出したものの無失点に抑え、いよいよ9回裏。マウンドには二日前に大逆転を喫した小林雅英投手が上がったた。もちろん、1点差な上に相手はホークス打線なので不安はあった。しかし、初芝選手の安打から始まったのだから、今日は大丈夫だろう、という非論理的な根拠による「安心感」があった(もっとも、二日前の登板の時も、最初は安心して見ていたわけだが・・・)。
 そして、1死2塁と一打同点、一発サヨナラの危機は作ったが、そこから後続を絶ち、最後は川崎選手を左飛に打ちとって試合終了。その瞬間、マリーンズの優勝が決まった。

 優勝した事自体が嬉しいのはもちろんだ。しかし、この試合においては、「優勝したこと」のみならず、初芝選手の内野安打とそれをきっかけにした逆転劇、さらにはその直前の7回の表裏の攻防がそのものも、非常に印象に残った試合となっている。

試合当日に書いた記事−初芝選手の内野安打をきっかけに逆転し、リーグ優勝

2.対合併球団10回戦(8月5日・TV観戦)

 正確に言えば、試合そのものよりも、緊急登板して今季初勝利を挙げた高木投手の好投が印象に残っている試合と言える。
 この時、チームはマリンスタジアムで9連戦の最中。最初のイーグルスを3タテにしてむかえたのは、半月前に同じマリンで3タテを喫した合併球団だった。その初戦の先発は小野投手。初回は三者凡退で抑えたものの、2回表に1死1塁から塩崎選手に頭部死球を当てて退場になってしまう。
 ここで緊急登板したのが高木投手。今季はここまで一軍と二軍を往復し、97試合で僅か13登板だった。さすがに準備が出来ていなかったのか、この回は連続適時打を喫して2点を先制される。
 しかしそこから好投し、追加点を与えない。それに応えた打線も、前回白星を献上したケビン投手相手に、相手のミスもあって3回に追いつき、5回についに勝ち越す。
 結局、高木投手は、6回1死で降板したが、そこまでの17人を、登板直後の連続適時打を含めての4安打に抑えた。降板時には、思わぬ危機を救ってくれた高木投手に場内から大きな声援と拍手が送られた。その後は、山崎投手・薮田投手・小林雅英投手の継投でこの1点差を守りきり、対合併球団の連敗を止める貴重な勝利を挙げた。

 高木投手はかつて阪急ブレーブスにドラフト1位指名で入団した選手。しかし、その期待に応えきれず、ホークスへ移籍。そこで自由契約となり、スワローズにテスト入団。一度はローテ入りして9勝を挙げたものの、優勝した2001年には2試合しか登板できずに自由契約になってマリーンズ入りした。
 マリーンズでも派手な活躍こそなかったものの、左の中継ぎを中心に、時には先発もこなすという「便利屋」的な活躍をしていた。この日、この突発的な危機に高木投手に白羽の矢がたったのも、その先発もできるという実績が評価されていたからだろう。
 その後も、目立った活躍こそなかったものの、結局20試合に登板して1勝0敗0セーブで防御率3.20。プレーオフ・日本シリーズでも出場登録された。その結果、プロ19年目で初めて優勝に貢献したわけである。以前ブレーブスを応援していた事もあり、この試合の活躍は本当に嬉しかった。

試合当日に書いた記事−高木投手、緊急登板で今季初勝利

3.アジアシリーズ(11月10〜13日・初日以外は球場観戦)

 このシリーズは、マリーンズが4連勝で優勝した事そのものよりも、このような大会が開催され、さらにそのうち3試合を生で見ることができた、という事のほうが印象に残っている。
 特に、韓国・台湾の球団の、日本とはかなり異なる応援が興味深かった。もちろん、あくまでも「選手・運営者・他の観客に迷惑をかけない」という大前提は守られなければならない。しかし、逆に言えば、それさえ守れていれば、ある程度の派手さはあっていいのでは、と思う。
 話がかなりずれたが、そういう意味で、相手チームの応援も含め、楽しむ事のできるシリーズだった。特に興味があったのは、韓国・台湾の双方が使っていた「風船バット」。一球団くらい、日本でも採用する応援団があると面白いかも、と思った。

 試合のほうだが、結果的には、日米の差と同じものが、日韓・日台の間にあったと言わざるをえないものはあった。とはいえ、「ホームタウンディジョン」に加え、さまざまな環境が日本有利だったわけだから、客観的な実力差は測れない、とも言える。将来、この大会が持ち回りの開催で行われ、その外国開催の試合で日本代表のマリーンズの優勝が見れれば、などとも思った。
 なお、実際に見に行った試合で印象に残った場面をそれぞれ挙げると、2戦目の台湾・興農ブルズ戦が、やけに外角に広いストライクゾーン。3戦目の中国選抜が、黒木投手の足に当たっての三重殺。最終の韓国・サムスンライオンズ戦が、遅れて入場した直後に見ることができた、フランコ選手の同点適時二塁打および、結果的には決勝点となった渡辺正人選手の2ラン、という感じだった。

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4.対ホークス17回戦(9月17日・球場観戦)

 レギュラーシーズン最終盤に、対ホークス4連戦がマリンであった。4戦とも球場に行き、いずれの試合も印象に残っているが、やはりその中でもこの初戦の試合展開は強烈だった。
 この時点で、ホークスとのゲーム差はちょうど5だった。つまり、プレーオフで1勝差がつくギリギリのところにいただ。仮にここで4タテを喫すれば9ゲーム差だから、プレーオフで1勝差がつくのはほぼ決定となる。しかし逆に4タテを食らわせれば1ゲーム差に。もしそうなれば、レギュラーシーズン1位通過も夢ではなくなる。そういう意味で、重要な初戦だった。
 ところが、先発の小林宏之投手の出来がよくない。2回に城島選手に左翼席に打ち込まれて先制されると、3回にはまたもや城島選手に同じような弾道の3ランを打たれる。この時点で0対5。しかもその直後の3回裏、マリーンズは無死2・3塁としながらも1点も取れない。相手が今季ここまで1敗しかしていない斉藤投手という事もあり、かなり重苦しい雰囲気が漂っていた。
 ところが4回裏、連打で1点を返し、1死1塁で李選手が打席に。来日当初は、追い込まれたら変化球をあっさり空振りしていた李選手だが、ここでは驚異的な粘りを見せる。そして10球目を右翼席に2ランを放つ。さらにこの回1点を返し、1点差まで追い上げた。
 こうなると完全にマリーンズのペースに。5回には再び走者をためて城島選手、というところを二番手の小野投手が凌ぐ。そしてその裏、フランコ選手の二打席連続適時打で追いつき、6回には福浦選手の適時打などで勝ち越した。
 後は藤田投手→薮田投手→小林雅英投手の継投で強力なホークス打線を封じ、終わってみれば8対5で勝利。この勢いで、翌日・翌々日も逆転勝利し、4連戦を3勝1敗で乗り切って3ゲーム差に。最終的に4.5ゲーム差でアドバンテージを回避できただけに、ここでの連勝は大きかったと言える。
 なお、今季のホークス戦は、結局、マリンで行われた10試合中8試合を球場で観戦した。直接見れば見るほど、ホークスの強さというものは際立って見える。その強い球団と優勝争いを出来た事は、ファンとして非常に嬉しい。プレーオフ制覇後にバレンタイン監督が言った「どちらにも優勝がふさわしかった」というのはまぎれもない本音だろう。

試合当日に書いた記事−0-5からの大逆転で4連戦初戦を制す

5.対読売4回戦(6月7日・球場観戦)

 読売の先発は上原投手。大学から逆指名で入団し、その期待に応えて一年目から活躍してエースの座に君臨している。しかも人柄が良く、読売球団が嫌いな筆者でもその発言には何度も感心させられている。国際大会にも常に選抜される、現在の日本球界を代表する選手の一人だ。
 その上原投手に対し、バレンタイン監督は、ここ11試合連続でスタメン出場していたサブロー選手を外し、代田選手を起用した。
 この代田選手、バファローズに入団し、その後スワローズに移籍したが、いずれでも目立った活躍が出来ずに2002年に自由契約にされた。翌年、マリーンズに入ったものの最終戦で試合中に大怪我をし、それが原因で一年で解雇された。しかし、プロ野球界への夢を捨てきれず、2004年はどこにも所属せずに一人で練習を積み、秋の合同トライアウトに参加。すると復帰直後のバレンタイン監督の目に止まり、再度マリーンズに入団という経歴を持つ。ある意味、上原投手とは対極的な野球人生を過ごしてきた選手と言えるだろう。

 試合のほうは初回に失策がらみでマリーンズが先制するも、投手戦に。そして1対0のまま迎えた4回裏、1死2・3塁の追加点機に代田選手に打席がまわった。普通にスクイズが予想される局面で、守備陣も警戒していただろう。しかし、代田選手は初球を見事転がし、貴重な2点目を挙げた。その直後に1点を返されただけに、貴重すぎる追加点となったスクイズであった。
 この試合、外野席のバックスクリーン寄りで観戦していた。打点を挙げた選手にはファンがその名前を連呼する。守備に戻る代田選手のすぐ近くで「代田コール」ができたのは、本当に嬉しい事だった。

試合当日に書いた記事−投手戦を制して読売戦勝ち越し

番外1.対ベイスターズ6回戦(5月29日・球場観戦)

 試合そのものは、初回にあっさり那須野投手を攻略し、里崎選手の満塁本塁打で4点を先制。さらにソロ2本で追加点を挙げて序盤で大量リード。一方、渡辺俊介投手は4回に3点を取られたものの、それだけで8回を抑えて勝利、というもの。
 もちろん、満塁本塁打も好投もあったが、この試合が心に残った理由は試合終了後にある。
 ヒーローインタビューはその満塁本塁打の里崎選手と好投の渡辺俊投手。最後のほうでいきなり里崎選手が、自らマイクを手にして、「この後、球場正面で二人でライブをやります」と宣言する。そして、ステージ前に集まった約4,000人の前で、二人で「We Love Marines」と「夢への翼」を熱唱してくれた。
 1試合戦ってかなり疲れている中、ファンを楽しませるための企画を自ら考えて実行する。その姿勢がすごく嬉しかった「ライブ」だった。

試合当日に書いた記事−里崎選手、打撃にリードに歌と大活躍

番外2.対ドラゴンズ3回戦(5月22日・テレビ観戦)

 1回裏、先頭の西岡選手が一塁ゴロに打ち取られる。しかし、それをウッズ選手が失策して出塁する。それを足がかりにこの回に4点を先制し、最終的には11対4で快勝するのだが、この1回裏の攻撃の流れが忘れれない。具体的に書くと以下のようになる。
 ♪♪一番 西岡 塁に出て、二番 堀がヒットエンドラン、三番 福浦タイムリー、四番 フランコ ホームラン♪♪(文中敬称略)。つまり、「燃えよドラゴンズ」の2番の歌詞そのものである。
 歌では聞くものの、実際にこのような攻撃が行われたのは見たことがなかった。それを、よりによってドラゴンズ相手にマリーンズ打線が見せてくれたわけだ。

試合当日に書いた記事−二週間ぶりの二桁得点で連勝

 というわけで、番外も含め、計10試合を選んでみた。もちろん、他の試合もそれぞれ印象に残っている。2005年は、他の事はともかく、野球観戦においては、文句なしにいい一年だった。