宮城県北旅行

2004/04/13(写真追加・2004/07/26)

1.仙台行と鳴子温泉

 妹が配偶者の仕事の関係で、宮城県北部に転居した。その妹夫婦に案内してもらって、2004年2月末に宮城県北部へ凖日帰りの小旅行した。
 まず、最初に鳴子温泉に行き、そこで妹夫婦の車に拾ってもらう事にした。鳴子は、1997年の元旦に、「JR東日本一日乗り放題パス」を使った時に通ったことがある。その時は、東北新幹線で古川に行き、そこから陸羽東線で新庄に、さらに陸羽西線で酒田に抜けた。鉄道で通っただけだが、鳴子周辺は至るところで温泉の蒸気が出ていて驚いた記憶がある。
 今回は、土曜夜の夜行バスで仙台に出て、そこから東北本線・陸羽東線と乗り継いで鳴子に行く事にした。電車・バスを問わず夜行での寝つきの悪い筆者は、だいたい乗る前にアルコール分を補給して睡眠薬代わりにするのだが、東京駅周辺には、自販機はもちろん、酒を売っているコンビニも見当たらない。そこで仕方なく、開いていた居酒屋でアルコール分を補給した。
 その効果があってか、比較的早めに寝付く事ができ、気が着いたらバスはもう仙台市街に入っていた。そしてほどなく仙台駅に着いた。
 仙台からは東北本線の各駅で小牛田にむかう。途中、松島付近では仙石線と並走し、一部では交差する部分もある。これはかつて仙石線が私鉄だった名残だ。予想通り仙石線が見えてきた時は嬉しかった。それにしても、鉄道ファンを半引退してかなり経つが、そんな事をいまだに覚えていたり、喜んだりする自分が不思議だ。
 小牛田からは陸羽東線のワンマンカーに乗り換える。このあたりで、夜行で4時間しか寝ていなかった反動で眠気がでた。7年ぶりとなる古川駅に着いて「相変わらず、のどかな新幹線停車駅だな」などと思ったまでは記憶があるが、次に気が付いたらもう鳴子温泉駅だった。

 朝から空いている公衆温泉「滝の湯」に行く。雪は残っているが、降ってはいない。天気予報は雨で、今にも降り出しそうな空模様だった。それにしても、本当に湯量が多いようだ。至る所で沸いているせいか、生活用水にも温泉を使うせいかわからないが、道路の側溝からも湯気が出ていた。
 「滝の湯」は、本来は入口の50mほど前にある自販機で入場券を買う仕組みらしいが、その日は自販機が故障との事で、入口で150円を払った。整備された脱衣所で服を脱ぎ、中に入ったら、えらい寒い。眼鏡を外している上に湯気がすごいのでよく見えないが、半分露天みたいな感じのようだ。公衆浴場なので、先に体を洗ってから浴槽に入るわけだが、その間はかなりつらかった。
 湯は硫酸性で、かなり刺激が強かった。とにもかくにも、かなり冷えた体が温まり、生き返るようだった。奥のほうには打たせ湯みたいなのがあるようだが、とにかくよく見えないので、行くのはやめておいた。こういう時、ド近眼は不便である。
 暖まったところで滝の湯を出て、一旦、鳴子温泉駅に戻り、待合室で観光案内のチラシを見ながら朝食を取った。とにかく、泉源が多く、駅前周辺の温泉街でも、それぞれ湯が異なるそうだ。一泊以上して、公衆浴場のみならず、様々な旅館の温泉に入ってみてはじめて、「鳴子温泉に行った」と言えるのだろう。
 それはもちろん無理だが、もう一つの公衆浴場の「早稲田桟敷」に行った。なんでも戦後まもなく、早稲田大学の学生が掘り当てたのでこの名前となったらしい。「滝の湯」が木をふんだんに使い、伝統の味を出しているのに対し、こちらはコンクリートを多用した現代風(?)の温泉だ。「滝の湯」から歩いて10分もしない所にあるのだが、お湯の感じはかなり違い、刺激は弱かった。なるほど、泉源が豊富なんだな、と文字通り身をもって感じた。
 この早稲田桟敷には、広い畳張りの休憩室がついている。夜行バスから乗り継いで、風呂に入った後に眠くなった体にはちょうどいい。気持ちよく昼寝することができた。

2.「くりでん」とその沿線

 昼過ぎに妹夫妻と合流した。天気は、太陽は出ていて日差しもそこそこ強いが、雨も降っているという「狐の嫁入り」状態だった。義弟の運転で栗原郡に行く。山を一つ越えたら、天気は普通になった。
 1時間ほど走ると、踏み切りが見えた。くりはら田園鉄道(略称・「くりでん」、旧栗原電鉄)である。なんか、踏み切りの脇では取締りみたいな事をやっていた。義弟が言うには、踏み切り前の一時停止を怠った車を取締っているのでは、との事。1時間に1本のローカル私鉄だから、みなつい怠ってしまうのだろうか。
 そのくりはら田園鉄道の中心駅である栗原駅前で車を止め、狩人という店に入った。カウンターと4人用座敷が2つというこぢんまりした店だ。メニューを見ると、「山菜うどん」などと並べて「熊うどん」というのがある。店の名前からわかるように、猟師である店主が撃った熊肉が入っているうどんである。また、吊ってある白版には「鹿肉のリブステーキ」などとも書いてあった。ふと「この店で『きつねうどん』を頼んだら、あぶらげでなく、狐肉の乗ったうどんが出てくるんだろうな」などとしょうもない事を考えた。
 熊の肉は薄切りが3枚ほど入っていた。もちろん、普段食べている肉とは違う味だったが、どのへんが熊の味なのかは、筆者の舌ではわからなかった。その後、鹿肉のリブステーキも食べたが、こちらも同様だった。
 とはいえ、このような機会はへたすると二度とないだけに、貴重だった。だいたい、「猟師直営で、材料は自ら調達、という事だけでも、都会で生活している人間にとっては想像すらできない事ある。

 熊うどんを食べ終え、栗原駅に行く。駅舎は築50年みたいな雰囲気の漂う、堂々たる建物だった。ちょうど10分後くらいに下りの列車が来るところだった。そこで、義弟に終点の「細倉マインパーク前」まで車で行ってもらい、妹と「くりでん」に乗ることにした。
 切符を買うと、懐かしの「硬券」である。実は中学生時代、鉄道ファン仲間の友人の影響で「硬券入場券」を集めていた時期があった。久々に見た「硬券」に、20年ぶりに当時の血が蘇り、栗原駅の「硬券入場券」を衝動買いしてしまった。
 さらに、ホームに行くと、JRでは絶滅寸前となっている運行管理システム(?)の象徴である「タブレット」を持っている。「硬券」にしろ「タブレット」にしろ、20年前に「近いうちになくなるだろう」という事で関心を持っていたものだった。それが今でも普通に使われているのだから、何とも言えないものがあった。
 駅舎も切符も運行システムも年代ものだが、駅に来た気動車は新しくて小ぎれいだった。この鉄道は、かつては鉱石輸送を主体とした栗原電鉄という私鉄だったのだが、鉱山の閉山で運営会社が撤退。廃止の危機に立たされたが、沿線市町村が第三セクター「くりはら田園鐵道」として存続させた、という歴史を持つ。そして約10年前、電車営業を廃して気動車を導入した。そのため、車両だけは新しいのである。
 気動車はもちろん単行。我々の他には若い男性が数人乗っているだけだ。その気動車は社名の通り、田園地帯をのんびりと走る。新しいのは気動車だけで、駅は一様に古い。特に、終点前の「鶯沢高校前」は、駅名票の文字がはげ、ほとんど読めなくなっていた。
 そして終点に着く。この鉄道の終点の歴史は妙に複雑で、かつては旅客営業は「細倉」駅までで、そこから細倉鉱山まで貨物線が延びていた。この貨物線は閉山とともに廃止になったのだが、鉱山跡に「細倉マインパーク」というレジャー施設を作ったために、細倉駅の少し北に「細倉マインパーク」駅を新設。細倉駅は廃止となった。
 その廃駅となった細倉駅を過ぎ、すぐに細倉マインパーク駅に着いた。廃止された細倉駅の駅名票はなかなか立派で、さすがは終着駅、という風格があった。細倉マインパーク駅にはかつての電気機関車などが飾ってあった。先ほど乗っていた客はその写真などを撮っている。つまり、我々も含め、乗っていた客は全て「くりでん」そのものの観光客だったわけだ。
 降りてしばらくすると、義弟の車が来た。再び合流して、細倉マインパークにむかった。

栗駒駅1 栗駒駅2 栗駒駅3 栗駒駅4
尾松駅 車内 くりでん車両1 くりでん車両2
細倉マインパーク駅 電気機関車1 電気機関車2 切符
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3.細倉マインパーク

 先述した通り、「細倉マインパーク」は、細倉鉱山の跡地を利用して造った施設である。したがって、鉱山展示館みたいなものだと思っていた。しかし、今回の旅行に先立って情報を集めたところ、ちょっと違うらしい、という事がわかった。確かに前半部分は鉱山展示館のようだ。ところが、後半部分になると、わけがわからない。何を展示しているかもよくわからないし、紹介されているコンセプトも意味不明だ。そこで、当初は行くのをやめようかと思っていたのだが、妹夫妻に「一度くらいは行ってみる価値はある」と勧め(?)られ、怖いもの見たさ半分で入ってみた。ちなみに妹夫妻は車の中で待っていた。つまりは「二回行く価値のない施設」というわけである。
 前半の「鉱山展示館」の部分は確かに面白かった。江戸時代から採掘がはじまり、15年ほど前まで操業していただけの歴史が感じられる。特に閉山直前の事務室の模型などは、どこにでもある事務室のような雰囲気がただよっており、「つい十数年前まで操業していたんだな」と改めて実感させられるものだった。
 また、順路もなるべく往時の坑道の雰囲気を残すように作ってあり、「ここを鉱山労働者の人々が使っていた」という事が伝わってくるようだった。

荷担枠 合掌枠 さく岩作業 坑道

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 さて、鉱山展示が終わり、いよいよ噂の(?)謎の展示物地域に向かう事になった。
 なにやら、妖しげな光の芸術(?)から始まり、何を言いたいのかわからないような展示物が、コンセプトもなく並べられている。なお、「地球の歴史」みたいな展示物もあるのだが、理科系の義弟によると、事実と異なる記述もあったそうだ。いずれにせよ、まともに相手をするような類のものではない。
 特に謎なのは、「サヌカイト」なる鉱物による「石琴」。木琴や鉄琴みたいな感じで、石をたたいて音を出す「楽器」が忽然と表れる。確かに珍しいとは思うが、解説を見ると、その石は香川県でしか取れないなどと書いてある。なぜそれを宮城の鉱山跡で展示せねばならないのか、非常に謎である。
 まあ、予備知識が豊富にあったので、さほど驚かなかったが、やはり奇妙だった。鉱山展示館だけでは場所が余るので、そこに何かを展示したかったのだろうが、なぜよりによって、「光」「神様」「うさんくさい地球の歴史」「石琴」etcなのだろうか。折角だから、設計した人の経歴・著書(あれば)なども展示してほしかった。

光の芸術? 謎の神様 こんな展示物見ながら考えたくない ここは香川の鉱山跡か?
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 こうして、細倉マインパークの観光を終えた。日曜の午後だというのに、施設は閑散としており、他の観光客も家族連れを一組見ただけだった。まあ、この展示では無理もないだろう。筆者だって、二度と中に入る気はおきない。
 一度閉山した鉱山跡を生かそうと作られた施設だが、10年後にどうなっているか、と思うとちょっと寂しい気分になった。今からでも遅くないから、後半部分は全面改装したほうがいいのではなかろうか。

4.内沼

 次に本日最後の目的地である「伊豆沼・内沼」に向かった。ここはラムサール条約の登録湿地で、白鳥をはじめ、さまざまな水鳥が来るところらしい。まず最初に「内沼」に行く。岸辺の近くの建物では、古米を加工したような「野鳥の餌」を100円で売っていたのでそれを買った。
 岸辺に行くと、数え切れないほどの水鳥がいた。餌をまくと、そこは戦場のようになり、一粒の米を鴨たちが激しく奪い合う。
 餌のまかれたあたりはそれこそ「一面水鳥だらけ」という感じになる。鴨は米一粒に激しく争うが、白鳥はどちらかというと悠然としている。試しに、手に餌を乗せて目の前に出してみたが、それでもなかなか食べようとしない。一度など、米でなく、手のほうを噛み付かれた。もっとも、先日地元の水鳥公園で嫁さんが白鳥に手を噛まれたのを見ていたので、あらかじめ手袋をしていたので、特に痛くはなかったが。
 餌やりはそのへんにして、改めて水面を見る。本当に無数に鳥がいる、という感じだ。よくもここまで集まるものだ、と感心させられた。また、気楽に浜辺で鳥と遊べるのがいい。有名でないうえに、近隣にも目立った観光施設がなく、人が来ないのが逆に幸いしているのだろう。

内沼1 内沼2 内沼4 内沼3
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 その後、「伊豆沼」にも行ったが、こちらは時間が悪かったのかあまり鳥もいなかった。また、メインの駐車場の近くは、柵ができていて、鳥を間近で見るような雰囲気はなかった。まあ、広い沼のほんの一部分なので、これだけで「伊豆沼」について論じるわけにはいかないのだろうが。
 とにかく、内沼の水鳥には圧倒させられた。今後、自分がこれだけの量の水鳥を見る機会があるのか、と思ったほどの水鳥だった。

5.くりこま高原駅

 日も暮れたので、観光旅行はこのへんにして、妹の家で夕食をふるまわれる。日中はかなり暖かかったが、日が沈むと、急に関東とは感じの違う風の冷たさを感じるようになった。やはり東北だ。
 新幹線の時間が近づいたので、最寄の「くりこま高原」駅に車で向かう。町の中心近くにある家を出て、田んぼの中を車は走る。すると、妹が「一面田んぼの何もないところに、白くぼおっと浮かんで見える・・・」などと話し出した。「なんで急に怪談なんかを?」と不思議に思いながら聞いていたら、「それが東北新幹線の『くりこま高原駅』なんです」というオチだった。
 実際に、妹の言うとおり、何にもない田んぼの中に、忽然と長大な新幹線の駅が見えてきた。駅のすぐ脇にはリゾート施設(?)の「エポカ21」なる建物があるが、確かに他には何にもない。よくこんな所に新幹線の駅を作ったものであると感心した。駅構内もガランとしていて、薄暗い。
 しかし、そんな駅でも東京行きの新幹線はやってきた。乗って10分もすると、市街地に入り、古川駅に到着した。朝、陸羽東線で通った時は、「のどかな駅だ」などと思っていた。しかし、くりこま高原駅を見た直後に見る古川は、「ビルなども建っており、都会に戻ったみたいだ」という、朝と180度違う印象だった。



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