稲尾投手の永久欠番について

2012/4/28

 埼玉西武ライオンズが、前身の西鉄ライオンズのエースだった、故・稲尾和久投手がつけていた背番号「24」を永久欠番にすると発表した。
 この24番は、稲尾投手が引退した後、1972年に当時の西鉄ライオンズが永久欠番としたのだが、その後、西鉄が球団を売却した際に解除されたものである。したがって、今回の決定は、40年ぶりに永久欠番が復権したと言うべきだろう。
 その売却による永久欠番解除により、西武ライオンズにおいては、「24」はただの番号になってしまっていた。筆者が野球をよく見ていた2000年代半ばには、中堅投手がつけており、「ライオンズの24番」が敗戦処理として出てくるような事があったほどである。

 このように改めて永久欠番となった稲尾投手とはどのような実績を残した人なのだろうか。
 稲尾投手が引退したのは筆者の生まれた年だ。したがって、現役時代の活躍を生で見たことはない。初めて名前を聞いたのは、中学校の頃、当時の阪神タイガースで中継ぎエースだった福間投手がシーズン最多登板記録に到達しそうになった時だった。
 その後も、野球に関する本などを読むにつれ、年間42勝や日本シリーズ3連敗後に4連投して4連勝など、今では考えられないような実績を持っている事を知るようになった。
 とはいえ、「自分が生まれる前に活躍していた昔の大投手」という程度の認識しかなかった。
 何しろ、同じ時代に活躍していた、当時読売の長嶋選手などは、さまざまな「伝説」が書かれている。しかしながら、稲尾投手に関しては「記録」以外のものが書かれる事はほとんどなかった。情報がないのだから、知りようがない。
 ところが、2007年のある日、日刊スポーツが九州・山口版限定で連載した鉄腕人生 白球とともにという半生記という記事をネットで見ることができた。それを読んで、記録を見るだけでは分からない、その偉大さを初めて理解できた。

 そして、自叙伝である神様、仏様、稲尾様を読んだ。そこには、それら驚異的な記録を打ち立てた背景が、本人によって普通の事であるかのように書かれていた。
 この本の書評は別ページにて書いているので、参照していただければ幸いである。ただ、その中で特に心に残ったくだりだけ、紹介したい。
 この本では「酷使」と呼ばれた起用法についても書かれている。数々の実績を残した稲尾投手であったが、26歳で通算234勝を挙げたものの、故障してしまい、そこから38勝しか上積みできず32歳で引退した。
 最初、そのデータを見た時、筆者も「ひどい酷使の被害者だ。普通にやれていれば400勝くらいしたのに」と思ったものだった。
 しかし、本人はそれに対して一切恨んでいないのだ。その「酷使」によってこれだけファンを喜ばせる事ができた、とむしろ感謝していたほどだった。
 記録だけでも凄すぎるのだが、それだけでは伝わらない、能力・精神・想いなどには心底感服させられたものだった。

 それ以来、冒頭に書いたように、「ライオンズの24番が敗戦処理」というのは自分にとっては異常極まる光景となった。したがって、遅かったとはいえ、この「24番を再びライオンズの永久欠番に」というのは素晴らしい決定だと思った。
 これは、西武球団が稲尾投手に対する誤った評価を是正した、と言えだろう。

 ならば、ぜひとももう一つの「稲尾投手に対する誤った評価」も是正してもらいたいものだ。それは、現役の投手が新記録を打ち立てた際に見られる表現である。普通ならば単に「新記録」と書かれるだけだ。ところが、それまでその記録を保持していたのが稲尾投手だった場合に限り、マスコミは必ず「稲尾超え」という表現を使うのだ。
 確かに数字だけ比較すればそうなるのかも知れない。しかしながら、その内容はあまりにも違い過ぎる。
 その「稲尾超え」として最も大きく報じられたのは、2005年にタイガースの藤川投手が更新した「年間登板記録」だった。しかしながら、その時打ち立てた80登板と、1961年に稲尾投手が達成した78登板では内容が違いすぎる。
 その78登板は稲尾投手が先発・救援とフル回転して404イニング投げて42勝して打ち立てた記録だ。それをリリーフ専門投手が100イニングも投げずに、登板数だけ上回る事のどこが「稲尾超え」なのだろうか。
 もちろん、記録としては文句なしに「タイ記録」や「新記録」であり、達成した投手は偉大である。しかし、それと「稲尾投手を超える」というのは全く異なる次元の話だ。
 しかしながら、その後も「プレシーズンの試合での最年少無四球完投」「防御率1点台の連続記録」「200奪三振の連続記録」などが達成される度に「稲尾超え」という言葉が用いられ続けている。
 さらに、リリーフ投手が取材で最多登板記録を目標にする、と語ると、それだけで「目指すは稲尾超え」と報じられる始末だ。それを書いた記者は、1961年の稲尾投手の投球内容を理解しており、それでもその中継ぎ投手がそれより多い試合に登板しただけで「1961年の稲尾投手を超える」と思っているのだろうか。
 もちろん、これは逆説的に稲尾投手が偉大だという事を示しているとは言える。だからと言って、「稲尾超え」などという言葉を使うのが適切だとは思えない。

 今回の永久欠番は、これまで、「ライオンズの24番」が持つ重大な価値を理解せず、普通の番号として扱っていた西武球団が考えを改めた事のを意味している。
 ぜひともそれと同様に、報道する人たちも「稲尾投手を超える」という言葉をの持つ意味を再考し、それが本当に適切な言葉遣いであるかを深く再考してもらいたいものだ、と強く思った。

ページ別アクセス数調査用