2006年マリーンズ、心に残った試合

2006/12/31

 昨年ほどでもないが、今年も最大の趣味は「野球見物」だった。昨年同様、観戦した試合はほとんどがマリーンズ戦だった。ただ、一番印象に残ったのは春先のワールドベースボールクラシック(WBC)だった。
 というわけで、2006年の野球見物を振り返ってみたい。

1.ワールドベースボールクラシック(3月・TV観戦)

 結果的に、日本チームは二次リーグで先に2敗を喫して通過が絶望視された。しかし、アメリカ対メキシコ戦で、誰もが思っていなかったメキシコの勝利があり、決勝トーナメントに進出。そして準決勝でここまで2連敗の韓国に雪辱し、決勝ではキューバ相手に勝って初代大会優勝を達成したわけである。
 幸い、この大会の日本戦は二次予選のメキシコ戦以外、ほとんどTV中継を見ることができた。
 その中で一番印象に残ったのは、二次予選の対アメリカだった。などと書くと、例の誤審か、などと思われる方も多いだろう。
 確かに、当日の自分の見物記にも、それに関してかなり字数をさいている。ただ、今振り返ると、一番印象に残った場面はそこではない。

 まず一つは、7回裏の継投である。同点で迎え、1死2塁からクリーンアップを迎える、という大ピンチだ。アメリカの打席には三番のケン=グリフィーJr選手。ここで日本は二番手の清水直行投手に代えて、藤田投手をマウンドに送った。そして、藤田投手が抑え、今度は右のアレックス=ロドリゲス選手が登場すると、藪田投手に交代。そしてここも抑え、勝ち越しを許さなかった。
 MLBを見ない筆者でも知っているような屈指の強打者を、マリーンズの投手のみで抑えたわけである。昨年、この継投でアジアまで制したからある意味普通とも言えるのかもしれない。とはいえ、やはりこれは嬉しかった。
 もう一つは、最後のサヨナラ打を喫した場面である。同点で迎えた9回裏の二死満塁からロドリゲス選手の当たりが二遊間を抜いて試合が決着したわけだが、この打球に対し、二塁を守っていた西岡選手はボールに飛びつかずに足から滑り込むような形で向かっていった。
 このプレーに関する報道などは見ないので、実際の意図は分からない。そこでこれは筆者の想像でしかないのだが、あそこで西岡選手は足で球を蹴ろうと思ったのでは、と思っている。あの場面でサヨナラを免れるには、打者走者をアウトにするか、三塁走者が本塁に入る前に一塁走者を二塁封殺するよりない。ただ、あの場面、仮に捕って投げても、どちらも間に合わなかっただろう。それを瞬時に判断した西岡選手が、「二塁ベースに蹴って封殺」という前代未聞の事をやろうとしたのではないだろうか。
 残念ながら、球は西岡選手が蹴る前に抜けていったが、もし実現したら、文字通り球史に残るプレーが誕生したのかも、などと思っている。
 なお、WBCで他に印象に残ったのは、同じく対アメリカ戦での2死1・3塁からのイチロー選手敬遠・アジア予選での韓国の右翼手の超美技・準決勝での福留選手の代打本塁打・決勝での今江選手の中前適時打・川崎選手の本塁生還など、印象に残った場面の多い第一回大会だった。

2.対ファイターズ最終決戦(8月18〜20日・最終戦のみTV観戦)

 さて、ペナントレースのほうは、マリーンズが昨年に続いて交流戦に優勝し、パリーグでも首位に立った。しかし、そこからは大失速。6月下旬に首位陥落したと思ったら、7月にはもう4位まで落ちていた。そして8月半ばの札幌ドーム2連戦で連敗し、ゲーム差は4ゲーム半に開いた。続く連戦で半ゲーム差戻し、4ゲーム差で今度は本拠地の千葉マリンにファイターズをむかえたのが、8月18日から20日までの3連戦である。
 その緒戦、マリーンズは小林宏之投手が7回1失点の好投。打っては5回に青野選手の本塁打で勝ち越し、8回にダメ押し点。そして9回は小林雅英投手が締め、史上最速での通算200セーブを達成と、かなりいい形で勝利した。

 これでゲーム差は3に。この3連戦の結果次第では、逆転プレーオフ進出の可能性は十二分にある。それを感じた人も多く、続く第2戦は今季最高の3万1千を越す観客が入った。
 そしてその多くのファンの期待に応えて初回にあっさり先制。2回・3回に連続本塁打が出て連勝中のダルビッシュ投手を早くもKOした。一方、小野投手はソロを打たれたものの、6回までそのソロのみの1安打投球とファイターズ打線を押さえ込んでいた。
 前の週末に連敗したときは、「まだ諦めたわけではないが、ファイターズの優勝が見れればいいか」みたいな気分になっていた。しかし、この時点では、「これはもう3タテする流れだ。ならば週明けには1ゲーム差。そして抜いて3位になってプレーオフに出れば、連覇も十分あるな」などと思っていた。我ながら現金なものである。
 しかし7回、1安打投球の小野投手はマウンドに上がるも股関節の痛みをうったえて緊急降板した。しかし、急遽登板の藤田投手は小笠原選手・セギノール選手といった主軸をきっちり抑える。この時点でもまだ「小野投手の降板は不可解だが、ここから継投でかわせばいいから同じか」などと思っていた。
 ところが、続く稲葉選手が本塁打を放つと、試合は想像できないような展開になる。右の新庄選手という事もあり、ここで神田投手が登板。ところがここまで防御率1点台だった神田投手がまさかの乱調。四球・適時打・四球で1死もとれずに降板し、続くバーン投手も打たれ、この回5点を失い、6対5で逆転。一方、6回以降はファイターズの継投陣の前に走者を一人も出せず、敗れ去った。これでゲーム差は再びゲーム差は4になった。

 翌日は観戦に。しかし、先週に続いて渡辺俊介投手が序盤から失点し、4回途中で降板。一方、久々一軍復帰となった金村投手に打線が抑えられる。しかし、マリーンズは二番手の高木投手がそこから9人を完璧に抑える。だが、その力投に打線が応える事なく、打線は完封リレーを喫して0対3で敗戦。そして二日後にはファイターズに「プレーオフ出場マジック」が点灯した。
 というわけで、マリーンズの連覇の最後の望みを断ち切られた三連戦という事もあり、ペナントレースでは最も印象に残っている。

3.今江選手の好判断も行き、読売を6タテ(6月11日・球場観戦)

 夏から大失速したマリーンズだが、交流戦は今年も優勝した。その中でも、特に印象に残ったのは、対読売戦6連勝を決めた6月11のマリンスタジアムの試合だ。
 同点で迎えた3回表に、2死1塁から李選手の打球は右翼席に飛び込む、そしてスコアボードにも「2」が入るが、なぜか直後に取り消され、チェンジとなった。この試合は球場で観戦していたが、この時は別の所を見ていたので、何が起きたかわからなかった。そして場内放送により、一塁走者の小関選手が三塁を踏み忘れた事を今江選手がアピールしてアウトとなり、「幻の本塁打」となった事を知った。「本塁打取り消し」を見たのは、TV中継を含め、初めての事だ。
 そして7回に大松選手に勝ち越しソロが出てマリーンズが接戦を制して3対2で勝利。対読売6連勝と文字通り粉砕したわけである。

 そして、このアピールプレーが思わぬ後日談を生み、筆者は呆れたり笑ったりした。試合終了後、読売球団は、「小関選手は三塁を踏んでいた。証拠映像もある」という主張を始めた。言うまでもないことだが、いくら複数のカメラが配置されているとはいえ、本塁打が放たれた時点で、一塁走者の三塁での様子を撮れるほどカメラに余裕はない。では読売が主張する「証拠」とは?となるが、それは、「柵越えを見てしゃがみこむ渡辺俊介投手」をとらえたの映像だった。確かにその向こうに三塁を回る小関選手が映っている。しかし、三塁ベースは全部映っていない。読売の主張だと、三塁ベースは確かにへこんでいる、との事だが、そこまではっきりした映像ではない。
 さらに、読売は今江選手と西村三塁塁審は三塁を見れない位置にいた、とも主張していたが、あれだけ話題になりながら、それの「証拠映像」を見れる機会はなかった。ちなみに、後にこの中継の再放送を見たが、今江選手がボールが三塁へのボールを要求し、球を受けた瞬間に塁審はアウトを宣告している。本当に見ていなくて、そのような間髪を入れない判定ができるのだろうか。
 そして、読売の強硬な主張と、自社メディアをはじめとする各マスコミの報道により、あれは「誤審」という事になってしまった。特に興味深かったのは、「証拠映像」を撮っていたフジの「プロ野球ニュース」だった。試合当日の夜はその映像を見ながら、出演者の三人のうち二人は「踏んでいない」と言っていた。ところが、翌日登場した三人は皆「踏んでいる」と言っていたのだ。
 そして原監督は、今江選手の人格を否定するようにも取れる発言もした上、再試合を要求するなどという珍発言をした。それ自体は不愉快だったが、それを引きずった読売は、続く一週間で、イーグルスと合併球団にあわせて2勝6敗と敗れ去り、セリーグの優勝争いからも脱落した。そういう意味では大変笑えた読売の引きずりっぷりだった。
 ちなみに、読売がらみの「実在しないのに一人歩きして有名になった『事実』」としては1989年の日本シリーズで加藤哲郎投手(当時)が「巨人はロッテより弱い」と言ったことになったのが有名である。それから17年たって、くしくも読売がマリーンズに粉砕された日に、新たな「実在しないのに一人歩きして有名になった『事実』が生じた、というのは不思議なものを感じた。
 なお、その試合の一ヵ月後、同じような雨の日にマリーンズ対イーグルス戦を観戦した。その試合も、同じように渡辺俊介投手が元同僚のフェルナンデス選手に本塁打を打たれた。今度は筆者も今江選手に注目していたのだが、それまでずっと打球がスタンドに入ったあたりを見ていた今江選手だが、後ろを走者が通り過ぎると、条件反射のような感じで三塁を振り向き、触塁を確認していた。本人が言った「基本中の基本」というのを改めて感じさせられた行動だった。

4.諸積選手、「代走適時三塁打」を放つ(4月15日・TV観戦)

 開幕直後にマリンライオンズに3タテを喫し、前日も松坂投手の前に1点しか取れずに完投され、対戦成績4連敗を喫した直後の試合だった。
 マリーンズは二軍で好調だった大松選手と青野選手を一軍に上げ、1・2番でスタメン起用。それに応えた大松選手の満塁本塁打でマリーンズが逆転する。しかし、直後に内投手が江藤選手に通算350号となる2ランを喫して逆転されたものの、即座に再逆転した。そして迎えた9回表、マリーンズは先頭の大松選手が四球を選ぶと、諸積選手が代走で出場。その諸積選手が生還した後も打線は止まらず、走者を二人置いて、その諸積選手に打席がまわった。この時点では「代走」だった諸積選手はここで右翼を破る適時2点三塁打を放った。過去には似たような状況で「代走本塁打」を放った選手もいたそうだが、いずれにせよ、珍しい事には変わりない。そして、この打点は諸積選手にとって、現役最後の打点となった。

 というわけでマリーンズ戦およびマリーンズ所属選手を中心に今年のプロ野球を振り返ってみた。成績が成績なので、昨年ほど名場面はなかったが、なんだかんだで野球を楽しめた一年だったと思っている。