番外・NIFTY歴から振り返る我が家の通信環境の変遷

2002/08/14

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 Niftyに入会したのは、1994年か95年だった。当時のパソコンはエプソン製のNEC互換機。入会手続き・設定などはすべて当時同居していた弟がすべてやってくれた。「vterm」とかいう「通信ソフト」を使い、14kbpsだか28kbpsのモデムでアクセスポイントまで電話をかけてログインする。先方のサーバーに直接コマンドを入れるとかで、打ち間違いをしてもバックスペースキーで訂正することができない、と弟に教えられ驚いた。結局何度教わっても、打ち間違いをした時はバックスペースキーを押してしまうクセは最後まで直ることがなかった。
 操作は面倒だったが、そこにある「フォーラム」は色々な意味で新鮮だった。インターネットの普及した現在では「様々なジャンルで不特定多数の個人の考えを知る」ことなど、いともたやすく可能だ。しかし、インターネットはもちろんのこと、「パソコン通信」をやる人すら数少なかった時代においては、「フォーラム」で見られる情報は貴重かつ新鮮だった。
 全ての画面の背景は黒である。そのなかで、数字を選択し続けて目的のフォーラムに到達し、そこで文字だけの情報見る。今から考えて見ると気の遠くなるような話だが、苦労しただけに「情報にたどりついた」という喜び(?)もひとしおだった。

 1997年にWindows95・33kbpsモデム内蔵のパソコンに買い換える。ちょうどインターネットが家庭に普及しだした頃である。当時のNiftyは、「ニフティマネージャ」という専用接続ソフトを各メーカーのパソコンにプリインストールしていた。Windowsのアプリだが、提供するサービスは従来の文字ベースそのままだった。
 もちろん、vtermを使うより、接続もフォーラム閲覧も格段に便利になった。しかしながら、インターネットの面白さには勝てず、Niftyのフォーラムを見る時間は大幅に短くなった。
 一応、Niftyでもインターネット接続サービスもやっていたが、あくまでも「パソコン通信のついでにプロバイダ的業務もおこなう」というスタンスだった。例えば、「インターネットメール」は「abc01234@niftyserve.or.jp」などという会員番号そのままのものしかなかった。後に任意の名前を入れることも可能になったが、最初の頃は「oono@nifty.ne.jp」もしくは「takasi@nifty.ne.jp」のように、本名の姓か名を入れねばならない、という条件があった。また、Webサイト開設サービスもちょっと遅かったように記憶している。他プロバイダと比べると相当制限が多く、「プロバイダ」としてNiftyを選択する気はほとんど起きなかった。
 ただ、当時はNiftyのIDは、ネット上における絶対的なID、というイメージがあったため、退会する気もおきなかった。絶対的なIDの維持費が月200円なら安いものだ、という感覚があったからだ。この頃にNiftyで一番使ったのは「シェアウェア送金代行サービス」だった。また、チケットをNiftyで購入したこともあった。初めての「電子商取引」はNiftyでやったわけである。ただ、それ以外のサービスはほとんど使うことがなくなった。一度、有料の相撲結果速報サービスを利用した事があったが、調べてみたらYahooが無料で提供しているものより情報量・速報性とも劣っていた、などという事があった。

 こうして、Niftyは支払い以外に使わなくなった。そして、我が家の接続を64kbpsのISDNにした1999年に、Niftyは月200円で後は使っただけ課金するという「従量コース」の新規受付を停止した。ただし、これまで「従量コース」だった人は今後も使い続けることができる。そう言われると「従量コース」が既得権みたいに思えてしまい、ほとんど使わなくなったにもかかわらず、Niftyの退会は考えもしなくなった。
 翌2000年にはフレッツISDNが開通し、定額の常時接続環境が整った。時を同じくして、どこかでNiftyの「一ヶ月間無料キャンペーン」が行われていることを知った。その時ふと「自分がNiftyを使わなくなったのは、使うたびに『Niftyの接続料+電話代』が従量課金されるという割高感のせいかもしれない」と思った。Niftyには「オープンコース」という、接続サービスなしでフォーラムなどのサービスのみのコースが月1200円で使い放題、というサービスがある。これに1ヶ月無料で入れば、実質無料でフォーラムなどが使い放題だ、と考えた。
 そこで別IDでオープンコースに仮入会した。フォーラムはもちろん、「従量コース」では利用できない「メールをメーラーで読む」とか「Webサイト開設」などを試してみた。しかし、1ヶ月試用した結果は「残念ながら自分に必要なサービスではない」という結論に達した。そのため、正式にオープンコースに入会することはなかった。
 それからしばらくして、シェアウェアの送金もベクターのシェアレジで払える事を知ったため、Niftyを使うことは完全になくなった。にもかかわらず、相変わらず「月200円でNiftyのIDを維持できる事は価値がある」という考えは捨てきれなかった。これは250kbpsのADSL、3MbpsのBフレッツ(いずれも実測値)と通信環境が変化しても変わらなかった。

 それに転機が訪れたのは2002年の7月末の事だった。職場の先輩がパソコンを購入してネットをやりたい、というので、パソコンの選定・購入から設置・通信環境設定まで行う事になった。その先輩はこれまで職場も含めてネットの経験がない。また、ネットをバリバリやるようには思えない。そこで月額基本料が可能な限り安く、さらにできればプロバイダのメールサーバーでウイルスチェックをするサービスがあるプロバイダを探す事ににした。
 すると何とその条件を満たしていたのはNiftyだった。知らない間に「月250円で1時間までの接続。後は従量課金」という、「従量コース」とほとんど同じ「お手軽1コース」なるものが誕生していた。さらに月額200円でウイルスチェックもしてくれる。となると、これにするしかない、というわけで入会手続きを行った。
 そして同時に「月250円のコースにいつでも入れるのなら、『従量コース』の既得権はもはや存在しない」という事にも気づいた。ならばもう月に200円払う必要などどこにも存在しない。こうして、2002年の8月をもって、7〜8年間加入していたNiftyから退会することに決めた。
 その間に購入したパソコンは4台(プラス嫁さんが当てたiMAC)、加入したインターネットサービスプロバイダはNiftyを入れなくて4社、接続通信回線は4種類である。こうやって振り返ってみると、長い間Niftyに加入していたものだ、としみじみ思う次第である。
※追記・とか言っていたら、Niftyがコンテンツサービス利用のための「無料ID」を発行するようになった。そして、興味深いサービスがあったので、結局3度目のNIFTYのIDを取得し、現在に至っている。

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