言葉の分水嶺

 94年の暮れに数日ほど名古屋に行った。帰りの新幹線まで時間が余ったので、名鉄に乗って知多半島(※名古屋の東南にある半島。渥美半島と対になっている)を往復する事にした。
 知多半島には名古屋鉄道(名鉄)の路線が3本あるので、とりあえずどこかの終点に行けば、そこからバスで別の線の終点に行ける。そうすれば二本の路線に乗る事ができる、などという雑な計画を立てて、名鉄のターミナルである新名古屋駅に行った。
 まだ通勤ラッシュでの時間には少し早いが、そこそこには混んでいる。会話はもちろん名古屋弁だ。と言っても漫画にあるような「だぎゃあ」とか「みゃあ」などという語尾が耳につく事はない。「〜や」で終わるいわゆる「関西弁」だ。そうこうしているうちに、常滑(とこなめ)行が来たので乗った。

 列車は夕暮れの知多半島を走った。最初のうちは住宅地、そのうち農地もそこそこ混じってくる、という沿線風景であった。海岸沿いを走る区間があまりなかったのはちょっと残念だった。
 40分ほど乗って、終点の常滑に着いた。終点かつ市の中心駅なだけに、降りる人も多い。時間帯からして中高生が多いのだが、その会話が新名古屋駅とは違う言葉なのだ。語尾に「や」も「だぎゃあ」もつかない−いわゆる「東京弁」である。
 最初は一瞬、彼らは修学旅行で東京から来ているのか、と思った。そして「こんな所で同郷の人に会うとは奇遇だ。『自分も東京から来たんですよ』と話し掛けてみようか」とまで考えた。しかし、落ち着いて聞いてみると周りの誰もが同じような言葉を使っている。いくらなんでもこんなに関東からの旅行者がいるはずはない…。
 不思議な気分のまま、バスに乗った。後ろには地元の親子連れが乗っていた。彼らの会話も「東京弁」だ。この時、やっと理解できた。常滑の言葉は「〜や」ではなく、「〜だ」で終わるのだ、ということに。
 そう言えば、東京を築いたのは三河出身の徳川家康であり、「東京弁」の源流は三河の言葉だ、という話を聞いた事はあった。しかし、名古屋からさほど離れていないところで、ここまで劇的に言葉が変わるとは想像だにしなかった(ちなみに常滑は「尾張」である)。

 これまで筆者は日本全国の色々な所を旅行した。しかし、旅行前にはある程度の予備知識を入れているため、「新鮮な驚き」にも限界があった。桜島の降灰も冬の北海道の豪雪も、驚きこそすれ知識の範囲内でしかなかった。
 しかし、この「言葉の変化」は全く予備知識もなく、想像すらしていない事だっただけに衝撃は強かった。そのため、この「空いた時間を利用した名古屋近郊へのちょっとした散歩」は筆者の旅行の中でも忘れられないものの一つとなっている。
 それにしても気になるのは、「関西弁」圏から「東京弁」圏に変わる場所はどこか、という事だ。おそらくは川が境界線なのだろう。しかし、愛知県のどこかでは、「橋を渡ると言語体系が変わる」という地域が存在するのだ。ぜひ一度その「分水嶺」に行ってみたいものだ。

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