12年ぶりの富津岬

2022/9/17

 今から33年前となる1989年の2月に、大学の合宿で富津岬にある寮に泊まった。
 将棋研究会の合宿なので、最大の目的は将棋だが、もちろん、朝から晩まで寮にこもって将棋を指すわけではない。
 皆で時間を取って観光にあてたりした。
 また、寮は朝食と夕食は出してくれるが、昼食は出ない。そこで、寮のすぐ近くにある富津岬公園にある「みさき食堂」で地元で取れる海産物をメインとした料理を楽しんだのもいい思い出である。
 卒業後もちょくちょく合宿に顔を出したので、10回以上は、この地を訪れた事になる。相方の里帰りに同行して訪れた道後温泉を除けば、自分が最も多く訪れた観光地である。
 しかし、21世紀になって寮が閉鎖されてしまい、富津岬に行くこともなくなった。
 その後、2010年に房総半島一周をした際に、この地を訪れた事があった。大学の寮は解体され、キャンプ場利用者用の駐車場になっていた。門扉がそのまま残り、面影が残っていただけに、寂しさを感じたものだった。
 ただ、その時は、そして、かつて行きつけだった「みさき食堂」はお休みで、その隣の志のざきという店で磯ラーメンを食べた。
 いつか再訪しようと思いつつ、それから12年も経っていた。

 そんな事を思いながら過ごしていたが、ある日、全く予定のない休日ができた。
 そこで、朝食を取ったあと、相方と一緒に、富津岬までドライブすることにした。
 ちなみに、自家用車は2年前に通勤用として購入したが、職場移転で電車通勤に切り替える事になったので、今月をもって廃車にすることが決まっている。
 今まで、相方とは、市内と津田沼に買い物や病院に行くときしか、一緒に車に乗ることはなかった。
 そのため、この自家用車では最初で最後となる、二人での長距離ドライブとなった。

 京葉道路から館山道に入り、木更津南インターで降りる。ちなみに、学生時代も車で行ったことはあったが、当時は館山道はなく、国道16号をひたすら進んだものだった。
 高速を降りてすぐの交差点に案内表示があり、「真っ直ぐ行くと富津岬」と書いてある。
 したがって、何一つ迷わず、目的地に行くことができた。
 富津岬公園は、初めて行った33年前とあまり変わっていなかった。
 ただ、当時愛用していたみさき食堂は閉店しており、喫茶店の看板が出ていたがシャッターは閉まっていた。また、その隣にあり、学生時代によくお菓子を買った雑貨屋さんも、シャッターが降りていた。
 まあ、行ったのが、三連休前日の金曜日だから、単に休みだったのかもしれないが…。
 そこで、前回訪れた「志のざき」で、12年ぶりとなる磯ラーメンを食べた。相方は、季節限定の「磯冷やし中華」を注文した。
 この「志のざき」も、33年前に初めて行ったときに既に営業していた富津岬の老舗である。
 ただ、当時は、そこに行こうとしても、その手前にあった「みさき食堂」の店員の方に呼び止められるので、一度も行くことはなかった。
 この地域を代表する貝はバカガイ(アオヤギ)で、かつて食べた「みさき食堂」の磯ラーメンにはそれがふんだんに入っていた。
 しかし、メニューを見たら、「バカガイは不漁のため、入っていません」との注意書きが書かれていた。
 かつては、あれだけ獲れていたのに、と驚いたものだった。やはりこれも地球温暖化の影響なのだろうか。
 そのせいか、かつての「みさき食堂」の定番で、12年前の「志のざき」にもあったように記憶している、バカガイを使った「なめさんが」もメニューになかった。
 バカガイはなかったが、やはり、久々に食べた磯ラーメンは美味しかった。

(クリックすると別窓で大きな画像が開きます。以下同じ)

 12年ぶりの磯ラーメンを堪能したあとは、大学寮の跡地に行った。
 12年前と変わらず、駐車場になっており、門扉だけは当時のものが残っていた。
 それを懐かしんだあと、再び車に乗って富津岬先端に向かった。
 ここには独特の形をした展望台がある。以前は、老朽化で立入禁止となっていたと記憶していたが、補修工事が行われ、登ることができるようになっていた。
 一番上に登ると、左手には房総半島が、右手には横浜から三浦半島までが一望できる。
 横浜の海辺には特徴のある形にホテルがあるが、その形状が肉眼ではっきり見えた。
 そして、南のほうを見れば、房総半島と三浦半島に挟まれた浦賀水道が見える。

 展望台の上から海を見ていたら、ふと、海を背景に写真を撮りたくなった。
 実は自分は、仕事やイベントなど、必要性があるときを除いては、自分の写真を撮ろうという気にならない。
 我ながら、珍しいこともあるものだと思った。
 10代の頃から何度も通った富津岬だが、おそらく、今後行くことはないだろう。
 それを思って写真を撮りたくなったのだろうか、などと自分の心境を分析したりもした。

 展望台を降りて、今度は富津岬の先端に向かった。
 学生時代に行った時は、砂嘴の先端はかなり長い砂浜になっており、右と左で波の荒さが違う海を見て喜んだ記憶がある。
 さらに、先端の砂浜では、一緒に行ったサークル仲間と、砂浜でマルバツゲームをした記憶もあった。
 しかし、先端部分はかなりコンクリートで舗装されており、左右で海が見える部分はほんの数メートルしかなかった。
 安全のために工事を行ったのか、それとも、海水の侵食で先端部分が短くなったのかわからない。
 いずれにせよ、時の流れを感じた。

 こうして、12年ぶりの磯ラーメンと、約30年ぶりの富津岬先端を堪能して、富津岬公園を出た。
 帰りは、学生時代にバスで合宿所に向かうときに使っていた道を少し通った。
 「石井旅館」など、記憶に残っている建物もいくつかあった。
 おそらく、もう、この地に来ることはないだろう。
 それもあり、懐かしさと寂しさが折り混ざった気持ちで運転しながら、富津を去り、帰宅した。