「読売が強い年は野球が面白い」という言葉について

野球慣用句雑感・3

2007/11/6

 いまだに、商業マスコミでは「巨人が強い年は野球が面白い」という言葉が使われる。ここ数年、読売球団の成績などと関係なく、野球を楽しんでいる身としては、まったくもって意味不明な言葉だ。とはいえ、存在する以上は、何かの理由があるのだろう。
 そこで、この言葉がなぜ生じたのか、そして現在でも通じるのか、の二点を中心に、考察を加えてみることにした。
 ちょうど、今年のセリーグは、ペナントレースでは読売が接戦を制して五年ぶりに「優勝」したものの、新設されたクライマックスシリーズでドラゴンズに惨敗し、そのドラゴンズが日本一になる、という「天国から地獄へ」みたいな状況になっており、考察するには極めて適していると言えるだろう。
 なお、筆者はいろいろあって、「読売ジャイアンツ」を「巨人」と呼ばない事にしている。さらに、かつてJリーグにおいて、「企業名使用」にこだわり続けた、現球団会長の意思を尊重(?)し、本稿(というより、本サイト全般においてだが)での表記は、「読売」とさせていただく。

 さて、この「読売が強いと野球が面白い」の発生原因として、一番単純なのは、「読売ファンが一番多かったから」というのが挙げられる。つまり、自分たちは多数派で、その多数派が楽しいから、「強いと野球が面白い」というわけだ。
 率直に言って、こういう考え方がこの言葉が発生した重大な要因の一つだと思ってはいる。何しろ、普通に考えて、読売球団に興味がない人や好きでない人が、「今年は読売が強いから、野球が面白い」と考えるとは思えないからだ。
 ただ、「身びいき」で片付けると、それで話が終わってしまう。そこで、それと関係なく、「読売が強いと・・・」が成立した可能性について考えてみる。すなわち、「誰が見ても、読売の強さと野球の面白さが関連する可能性」についてだ。

 そこで達した一つの仮説が「TV・ラジオの放送との関係」である。
 今でこそ、地上波の読売戦中継は減少の一途をたどっている。しかし、10数年前までは、関東の地上波TVは、読売の全試合を中継していた。さらに、ラジオでも、関東ではNHKと平日の文化放送を除くTBS・ニッポン放送・ラジオ日本の三局は、常に読売戦を中継していた。また、平日こそ「ライオンズナイター」としてライオンズ戦を中継していた文化放送も、土日はやはり読売戦を中継していた。
 さらに言うと、当時は読売の試合こそは連日満員だったが、セの他球団は、読売戦は満員で、他はそこそこの入り。パリーグに至っては、基本的にガラガラで、平日は観客数が1万人に達する事はほとんどなかった。
 このような中継状況で野球を見たり聞いたりしている人にとって、「面白い年」とはどんな年だろうか。読売が早々と優勝戦線から脱落すれば、8月末から9月にかけて、TVもラジオも消化試合を流すことになるわけだ。たとえ、1980年代末のパリーグのように、三球団が数ゲーム差の中でひしめき、好勝負を演じても、それが地上波に流れるのは、よほどの事がない限りはない。代わりに流れるのは、読売の消化試合なわけだ。確かにこれではTVで見ても野球は面白くない。一方、読売が優勝争いをすれば、毎日TVで優勝争いを見ることができるわけだ。
 このような、当時の状況を見れば、なるほど「読売が強ければ野球は面白い」などという論調が存在した可能性もありえるだろう。何しろ普通の人にとっては「野球を見たり聞いたりする機会=読売戦」だったのだから。

 しかし、時代は変わった。1990年代に読売が強引に推し進めた、「金のある球団は、アマの有力選手も他球団の主力選手も好きに獲得できる」という制度のもと、読売にはスター選手が集まった。1990年代はスワローズがセでは最強だったが、読売も3度優勝してうち2度日本一にななった。そして21世紀に入っても2002年に日本一になった。
 ところが、スター選手を集め、実績もあったにも関わらず、読売戦の視聴率は下がり続けた。相変らず東京ドームの観客数は常に満員と発表され続けたが、実際に試合中継で見る観客席には空席が目立つようになった。
 一方、1990年代は最弱だったタイガースは、21世紀になってチームを大幅に強化。もともと、負け続けても熱烈なファンがいた事もあり、観客数は上昇した。そして、実数発表が義務づけられた2005年以降は、常に読売を上回る動員となり、読売を追い抜いて「人気No.1球団」となった。
 さらに、かつての「閑古鳥の鳴く球場」として知られたパリーグも変わった。1988年に福岡に移転して地元ファンを獲得したホークスを初め、少なからぬ球団が、地域密着でファンを増やしていった。その福岡をはじめ、札幌・仙台など、かつては読売が一番人気だった都市は、現在では地元球団中継の視聴率が、読売戦の視聴率を圧倒している。
 そして、スカパーやネットなどの普及で、それらのチームの試合を見ることが比較的容易となった。そして、同時に20世紀末からの視聴率低下の影響で、地上波での読売中継は減少の一途をたどっている。かつての「野球を見たり聞く事ができるのは、読売戦のみ」という時代は、完全に過去のものとなっている。

 そのような中、今年は、さらなる「札束に物を言わせての有名選手獲得」を読売は重ねた。その結果、五年ぶりの「優勝」を遂げた。しかし、果たして今年は「読売が強かったため、野球が面白い年」だったのだろうか。
 いくら勝っても、読売戦の視聴率が上がることはなかった。何しろ、最大の宣伝文句は「左打者三十発カルテット」なのである。うち二人は一昨年までは異なる球団に所属していた。そして、残る二人は「逆指名組」である。つまり、いずれも金の力でかき集めた選手だったわけだ。
 これでは、「読売が強いので野球が面白い」などという現象が発生するわけがない。結局、系列会社である日本テレビも、放映権を持っていたにも関わらず、「勝てば優勝」という試合を地上波で中継しなかった。
 そして、東京ドームも「連日満員」とはならなかった。優勝争いが佳境となった9月に入っても、4万6千人入る東京ドームの入りが3万8千人という事もあった。
 その中で、特に印象に残ったのは、9月半ばに神宮で行われた、スワローズと読売の三連戦だろう。うち二試合では雨模様だったとはいえ、3連戦の平均は1万5千人代と、3万3千人入る神宮からすると、半分以下の入りでしかなかった。神宮と東京ドームは、電車で5駅しか離れていない。そのような「お膝元」でこの入りだった。この時期、セリーグは上位三球団が僅差で競っていたに関わらずである。
 雨という理由はあるが、同じ気象状況で行われた、千葉のマリーンズ対ファイターズ戦は、平均して2千人ほど上回っていた。
 10キロも離れていないのにも関わらず、東京ドームでは3万8千人以上入り、神宮では平均1万5千、というのも気になるものだが、ここでは本題からずれるので外す。いずれにせよ、五年ぶりの優勝を目指して僅差で競っている読売が、地元東京で試合をやって、五割の客も集まらなかった、というのは事実である。これは、「読売が強いと野球が面白い」なる言葉が現在でも通じるのかを考える上での、重要な資料と言えるだろう。
 とりあえず、「首都圏在住の読売ファン」にとっても、「読売の強い年」はさほど魅力のあるものではない可能性すらあるわけだから。

 さて、一応、五年ぶりの「優勝」を果たした読売だが、それによって、何か野球の注目度が上がった、などという事は当然ながらなかった。そして、クライマックスシリーズではドラゴンズが読売を圧倒し、読売は優勝したにも関わらず、日本シリーズに出れない、史上初の球団になった。
 しかし、相手が読売でなくても、1・2戦が行われた札幌ドームは何ら変わりなくほぼ満員だった。もちろん、ドラゴンズの本拠地であるナゴヤドームも同様だった。
 そして、この日本シリーズは、最後にドラゴンズが、「完全試合リレー」という史上初の試合で53年ぶりの日本一を達成した。さらに、年初にリストラされ、前年の30分の1以下の年俸でドラゴンズ入りした中村紀洋選手がシリーズMVPを獲得した事もあわせ、大いに話題になった。もちろん、その1ヶ月ほど前に達成された「読売の五年ぶりリーグ優勝」などは、その前に完全に色あせていた。。

 いろいろな事例を集めて考えてみた。その結論として導かれたのは、現在においては「読売が強いと野球が面白い」などという言葉が通じる事は到底思えない、というものだった。まあ、かつての読売黄金時代で「読売が強いと・・・」が事実かどうか、という事ですら、読売ファン以外がそう思っていたかについて、可能性は提示できたものの、実証には遠く至らないわけだが。
 この事から導き出される結論が一つ存在する。それは、このような根拠のない言葉を、新聞や雑誌などで使っている記事があれば、それは眉唾ものとして読む必要がある、という事だ。今となっては、それがこの言葉の唯一の存在意義と言えるかもしれない。