メガホン投げ込みを誘発するもの

2003/05/27

 一部の球団の試合においては、敗戦時に応援に使っていたメガホンをグランドに投げ込むという「習慣」が存在している。外野席で観戦していたときに、敗戦時になると、「待ってました」とばかりにメガホンを投げ込もうとする輩を見たことがある。おかげでこちらは、負けた悔しさを味わいながら、「危険物体の飛来」という恐怖感まで味わう羽目になってしまう。
 ちょっと考えればわかる事だが、プラスチック製とはいえ、メガホンにはかなりの硬さがある。それをグランドまで届かそうと勢いをつけて投げれば、当たれば大変な事になる。子供の顔面にでも直撃すれば、大惨事にもなりかねない。
 そのような危険性があるにも関わらず、なぜ球場に来て負けた人はメガホンを投げ込むのだろうか。
 一つには群集心理があるのだろう。周りの人間が投げるから、自分も投げる、というものだ。さらに言うと、メガホンでの応援と同様に、メガホン投げ込みが一部では「慣習」となってしまっており、「負けたときはメガホンを投げるものだ」という認識になっている、というのもあるだろう。

 しかし、それ以上に影響を与えているのが、民放による読売戦の中継ではないだろうか。なぜか分からないが、これらの中継では、試合終了後、敗戦チームのファンが投げ込んでグランドに落ちたメガホンを放映する。投げ込まれたメガホンは継ぎ目が外れ、二つに分かれてしまっている。
 メガホン投げ込みが「出現」した当初は、「選手の去った後のグランドに落ちている敗戦チームの壊れたメガホン」というのは、虚しさを演出するのには適した「絵」だったのかもしれない。しかし、最初に書いたように、メガホンを投げ込む行為そのものは事故になりかねない危険な事なのだ。だいたい、毎回のようにパターン化した「グランドのメガホン」の映像を流し続けても、ただの「お約束」でしかない。
 見た人に伝わるのは、「敗戦の虚しさ」ではなく、「試合に負けたらメガホンを投げ込むのは当然の行為である」という誤った認識だけだ。あれだけ、色々なところで「メガホン投げ込み」が批判されているにも関わらず、このような陳腐で有害な映像を流しつづけるのだから理解に苦しむ。
 さらに言うと、このような映像を流すのは、読売戦を放映する地上波放送だけだ。スカパーで放映されるパリーグなどの試合では、ファンの質が高いのか、放送局スタッフの質が高いのか分からないが、そのような映像は見たことがない。
 確かにひいき球団が負けるのは悔しい。だからといって、その悔しさを、他人を怪我させる恐れがあり、かつ応援の対象である選手にとって神聖な場所であるグランドを汚すような形で発散する事がいいわけがない。
 また、マスコミも陳腐かつ有害なマンネリ映像など流さず、もっと工夫をこらして、「負けたチームのファンの悔しさ」を報道するようにしてほしいものである。

 追記・上記の文を掲載した後、熱心なタイガースファンである大学時代の先輩に、
「友人などに誘われて球場に来て、雰囲気でメガホンを買った。でもチームが負けたので、持って帰るのも面倒なので、TVでもやっていることだし、グランドにメガホンを捨てて帰ろう」という人も多いのでは?
 というご指摘をいただいた。確かに、本当のファンなら、メガホンは大切な「応援道具」なので、グランドに捨てるわけがない。その先輩は、「自分なりにアレンジしたお気に入りのメガホンはたとえ割れても捨てることはできない」と言っていた。
 いずれにせよ、一見のファンだろうがなんだろうが「グランドはゴミ箱ではない」という事だけは認識してほしいものだ。