高校生投手の酷使について

2003/08/24

 日本の夏の風物誌の一つとして「夏の甲子園高校野球大会」がある。一年で一番暑い季節の炎天下で野球を行い、しかも決勝近くなると連戦になる。ここ10年ほどの間にかなり改善されてはいるが、基本的な事は変わっていない。
 そのために生じるのが「投手の酷使」だ。かつてのように、一人の投手で全試合を完投するような事はなく、エースを休ませて2番手・3番手の投手が先発する、というのが増えてはいる。とはいえ、抜きん出た投手がいると、勝利のため、無理してでも使ってしまう。連投するだけでも大変なのに、真夏の太陽が照りつける中で試合をするのだ。体に対する負担は相当なものだろう。
 しかも、プロ野球と違い、高校野球では、投手が主力打者として活躍するケースも少なくない。その分、打撃・走塁でも疲れるだろうし、さらにはクロスプレーのような怪我の危険性の高いプレーもする必要がある。
 もちろん、甲子園での高校野球大会には90年近い伝統がある。だいたい、甲子園という球場が、もともと高校野球を行うために造られた球場だ。それで長年やってきている上に、「酷使防止」の規定や慣習もできつつあるのだから、今のままでいいのでは、という考えもあるかもしれない。しかし、時代の流れの中で、高校野球とその周りのの環境も大きく変わっている。
 まず一番の変化は、地球温暖化の進行だ。平均気温が上がっているうえに、局地的な猛暑も起きやすくなっている。したがって、選手への負担もその分増える。
 さらに、生活環境の変化による肉体の変化もある。食事の変化やクーラーの普及などで、現代人の「耐久性」は昔より落ちている。さらに、生活環境も変わった。かつての日本では、農業や漁業などでは子供の頃から肉体労働をしてきた選手が少なくなかった。「鉄腕」と呼ばれ、日本シリーズで7試合中6試合に投げ、3連敗後の「4連投4連勝」を成し遂げた稲尾和久投手は、子供の頃から漁師の父親とともに沖に出て櫓を漕いでいたそうだ。そのような基礎体力があったからこそ、それだけの酷使に耐える活躍ができたのだろう。しかし、その稲尾投手ですら、32歳での引退を余儀なくされているのだが。
 さらに、変化球の普及も見逃せない。稲尾投手が海に出ていた年代の頃、現代の投手は少年野球で変化球を習得している。その分、子供の頃から、腕や肘へ負担がかかっているのだ。
 以上の事からわかるように、様々な点で、夏の甲子園の選手の環境は厳しくなっている。にも関わらず、何十年も前とほぼ同じ条件で野球をやらせる、というのはいかがなものだろうか。高校野球で酷使され、故障して野球生命を終えた選手なども少なくない。

 このように、もはや「炎天下の甲子園での連戦」というのは、時代にあわないといえるだろう。そこで、改善案をいくつか考えてみた。
 まず必須なのはドーム球場での開催である。とにかく炎天下での試合は避けねばならない。さらに、ドームで行う事により、雨天順延を防ぐという効果もある。今夏の甲子園大会は、選手の負担軽減のためにこれまで1日で行っていた準々決勝を2日に分ける日程を組んだ。しかし、雨のため結局従来通りとなり、決勝に進出した2校はいずれも4連戦を強いられている。ドームで行えば、そのような事もなくなる。
 あと、投手に関しては、一定以上のイニング数・球数を投げたら、連投は不可という規定を作るべきだろう。さらに、指名打者制度も導入して、投手の負担を少しでも軽減するのもいいと思う。
 あともう一つ重要なのが、酷使に対するマスコミの扱いである。今夏の大会も、故障しながら、延長10回完投・救援で3回・休み・完投と、4連戦で22イニング投げたエースがいた。しかし、当初は決勝の登板を回避するつもりが、「志願登板」したらしい。これなんかを報じるとき、たいていの場合「怪我をおしてチームのために貢献する」みたいな美談として書かれる。
 しかし、これまで書いたように、それは「美談」ではない。このような時に「怪我に耐えて素晴らしい」ではなく、「目先の勝利のために怪我人を酷使するとは何事だ、投手生命が尽きたらどうするのか」と報道すべきなのだ。そうすれば、チームや周囲の雰囲気も変わり、酷使が減るのではないだろうか。
 とにかく、21世紀にもなった事だし、高校野球もあらゆる点において抜本的な見直しが必要な時期が来ているように思う。