「記録に残る選手」と「記憶に残る選手」

野球慣用句雑感・2

2007/5/6

 野球でよく使われる言葉に「記憶に残る選手と、記録に残る選手」というのがある。たいていは、「記憶に残る選手」を褒めるために使われている。特に、元読売の長嶋茂雄選手を評するのによく使われている。そして、その比較対象として「記録に残る選手」とされているのが、現ホークス監督で、現役時代は同じ読売でともに中軸を打っていた王貞治選手だ。
 なにか、経典でもあるかのように、この「記録に残る王と、記録に残る長嶋」は使われている。しかし、これは事実なのだろうか。

 まず、この二つの言葉の意味から考えてみる。「記憶に残る」と「記録に残る」は対義語のようになっている。しかし、これは変な話だ。実際には「記録にも記憶にも残る」「記録には残るが記憶に残らない」や「記録には残らないが記憶に残る」「記録にも記憶にも残らない」というのが正しい分け方だろう。
 たとえば、かつて東映フライヤーズに所属していた塩瀬という投手は、プロ初登板の試合で打席が回り、そこで本塁打を放った。しかし、その後登板機会はなく、当然打席もまわる事がなかった。そのため、生涯打率が10割で、生涯長打率が40割となった。この人などは「記録にのみ残る選手」だろう。
 一方、「記録に残らないが記憶に残る選手」いう例は二つのパターンがある。たとえば、バファローズに入団した活躍したものの、当時の本拠地である藤井寺球場の施設の汚さに驚き呆れて帰国したと言われる、ドン=マネー選手や、タイガースに高額で入団しながら、故障でほとんど出場せず、あげくの果てに「神のおつげで」などと言って引退してしまったグリーンウェル選手などだ。彼らは、日本野球においては何の記録も残していないが、それぞれの球団のファンにとっては「記憶にのみ残る選手」だろう。
 他にも、各個人レベルでの「記憶にのみ残る選手」もいるだろう。たとえば、偶然見に行った試合で派手な活躍をしたが、その後、活躍することがなかった選手とか、若手の頃から期待して注目していたものの大成できなかった選手などだ。
 たとえば、現在、タイガースのキャンプ情報に出演している福家雅明氏は、現役時代、何度か先発の機会を得た。しかし結果が残せず、立ち上がりに四球を連発してすぐ交代させられたことすらあった。また、8回を1〜2失点で好投したこともあったが、味方の援護がなくて結局未勝利に終わった。そういう意味で、記録には残らないながら、筆者個人にとっては「記憶に残る選手」である。
 ただ、いずれの例も冒頭に挙げた「記憶に残る」「記録に残る」とは意味合いが違う。当然ながら、ここに挙げた選手を「塩瀬投手は記録に残る選手だが、福家投手は記憶に残る選手だ」などと比較する意味はない。

 上記をふまえて、両選手について考えてみる。王選手が記録に残る選手であることは確かに疑いのない事実である。何せ、13年連続を始め、本塁打王15回で通算868本は世界記録だ。さらに、打点王13回に首位打者5回で三冠王2回である。
 ところが、この1960年代から70年代にかけて、この王選手に次ぐ「記録に残る選手」が存在する。首位打者6回は王選手を上回り、本塁打王3回に打点王5回と通算で打撃三部門を14回獲得している長嶋茂雄選手だ。現イーグルス監督の野村克也選手が16、現ドラゴンズ監督の落合博満選手が15だから、これは三冠王経験者に準じる実績である。
 つまり、長嶋選手は、歴代でもかなり上位に位置する「記録に残る選手」でもあるのだ。
 一方、王選手についての「記憶」の部分はどうなのだろうか。王選手が引退したのは、筆者が11歳の時だった。野球を見始めたのは7歳くらいだったし、別に毎試合TVで見ていたわけではない。しかしながら、あの独特の打撃フォームは、現役引退して25年以上たった今でもよく覚えている。
 一方、長嶋選手だが、筆者が野球を見だした時、既に引退していた。あの「永久に不滅です」というのも、直接見てはいない。それを見るには、録画映像などの「記録」を用いるよりない。つまり、筆者にとっての長嶋選手は「記録にしか残らない選手」なのである。
 結局、王選手は「記憶に残る選手」でもあるわけだし、長嶋選手は「記録に残る選手」でもあるわけだ。
 ただ、「記録」と「記憶」には大きな違いがある。先ほど記載したように、長嶋選手も歴代でも上位に入る記録を残しているが、明らかに王選手より下になってしまう。一方、「記憶」にはその比較ができない。その人が偶然見た姿や、個人的な好き嫌い、個人的に体験した逸話などにより、「何が記憶に残るか」は変わってくるのだ。
 実際、長嶋選手に関する記憶がない筆者にとっては、いくら「記憶に残る長嶋」などと言われても、「それは貴方が個人的に長嶋選手が好きなだけだろう」としか言いようがないのだ。

 また、この「記憶に残る」には、所属球団による差がある、という事も問題である。たとえば、今後も誰もが抜けないだろう年間42勝を始め、投手としての個人記録を数多く打ち立ててきた、元西鉄ライオンズの稲尾和久投手で考えて見たい。この選手においては、打ち立ててきた多数の記録および、日本シリーズ3連敗後の4連勝の立役者となった時につけられた「神様・仏様・稲尾様」という言葉は「記録」として残っている。
 しかしながら、この投手に関する「記憶」を聞く機会はなかなかなかった。今年の冬から春にかけ、日刊スポーツ西部版に鉄腕人生という連載があり、それがサイトにも転載された。それを読んで初めて、この「記録に残る大投手」の「記憶」に関する部分を知ることができた。
 このインターネットの時代だから、そのような形で、稲尾投手に関する「記憶」を知ることができたわけだ。しかし、これが15年も前だったら、九州在住者以外には、このような文章を読む機会すらなかったわけだ。
 これまでの筆者にとって、稲尾投手が「記録にのみ残る選手」だった。しかし、それは氏の投球が「記憶に残らない」からではない。単に西鉄ライオンズに所属していたために全国レベルで氏に関する逸話が伝わる機会が少なかったからでしかない。

 よく使われる「記憶に残る」と「記録に残る」だが、このように考えてみると、定義の仕方はあいまいな上に、「記憶に残る選手」になるための「条件」に不可解な部分が多い事がわかる。まあ、安易に使うべき言葉ではない事だけは確かだろう。