心に残る力士・2.板井(高鐵山)圭介

 力士の取り口を大別すると、「四つ相撲」と「突き押し相撲」に分けられる。前者は廻しを取って「寄りきり」や「投げ技」で勝つ力士、後者は離れて突っ張り・押しで相手を攻撃する力士である。といっても、「四つ相撲」の力士でも突っ張って勝つ事もあるし、突き押しの力士でも、四つに組んで投げ技を出したりすることもある。
 ところが、この板井の相撲は、純度100%の「突き押し」だけだ。立ちあい、張り手を交えて激しく突っ張り、相手の上体をのけぞらせる。そのまま突き出せず、相手が反撃をしようとした場合は、バランスの崩れた一瞬を狙って突き落とし・叩きこみを狙う。
 では、突き切れず、相手に組まれたらどうするかというと、はっきり言って何もできない。廻しをつかまれたら、後はほとんど無抵抗に土俵を割るのが普通だった。四つ相撲で勝った事などほとんどなかっただろう。

 また、立ちあいに相手の顔面を張り、そのまま相手が脳しんとうをおこして「KO勝ち」をした事もある。とくに当時の横綱大乃国にはこの手法で何度か金星を挙げた。張り手の威力を増すためにボクシングジムに通い、また怪我をしているわけでもないのに、手にテーピングをしていた。
 そういう事もあり、大乃国は板井の事が大嫌いで、引退してから数年たった時に行われたインタビューで「一人顔面を張ってくる力士がいた。あまりに腹が立つので組みとめたら両肘を極めて、土俵の外に出さずにそのまま腕を折ってやろうかと思ったほどだ」と語り、インタビューアに「その力士名、言わなくても分かりますよ(笑)」と言われたほどだった。
 また、その四股名も物議をかもした。この「板井」というのは本名なのだが、「痛い」や「遺体」に通じるから四股名を名乗れ、という意見が内外から何度も出た。しかしながら、頑として本名で取り続けた。

 相撲内容・名前ともかなり変わっているが、そうなったのも理由がある。板井は実業団相撲で活躍して大相撲入りした。実力的には既に幕下クラスだったが、「付け出し」ではなく序ノ口から取った。そのため、入門から半年ほどは負け知らずで、一年で十両入り、さらにその一年後に入幕した。連勝だかスピード出世だかの記録の何かをいまでも保持しているはずである。そして十両時代に師匠の四股名である「高鐵山」を継承した。
 ところが、入幕した場所で膝を痛めて休場。数場所後に再入幕するもまた膝を痛め再度休場。今度は治りが遅く、幕下まで落ちてしまった。これを機に再び四股名を本名に戻した。たしかに本名を名乗らなかった時期に大怪我してまともに相撲を取れなかったのだから、本名に戻したくなる気持ちも分かる。
 また、四つ相撲が取れないのも、この時の膝の怪我が原因のようだ。それを克服するため、突き押しや張り手を磨き、独特の相撲スタイルを築いたわけだ。
 四つ相撲が取れないのだから、上位に定着はできない。幕内下位で勝ち越し、上位では大負けをする、というパターンを繰り返す、典型的な「エレベーター力士」だった。
 唯一、目だった活躍をしたのは、上位で横綱大乃国・大関北勝海の二人に勝った場所と、幕内中位ながら大乃国に勝つなど二桁勝利を挙げ、翌場所小結になった事くらいだった。

 中堅力士として幕内に定着していたが、ある時期から週刊ポストに「八百長の元締め」と「攻撃」されるようになった、その事が影響したのか、年寄株を取得していたにも関わらず、親方襲名が認められずに廃業させられた。もちろん、こんな例は他にはない。

 廃業して(させられて)10年くらい経って、日本外国特派員協会で自らの八百長活動を告白し、さらに八百長の「暴露本」を小学館から出した。かつてその相撲が好きで応援していた身としては、ちょっと寂しかったが、まあ、いろいろ事情があるのだろう。別に八百長だろうが何だろうが、あの激しい突っ張りには心が躍ったのは事実だし、それを今更否定する気も起きない。

 余談・それにしても、前回の双羽黒といい、10代の頃応援していた力士は、なぜこんなに悲しい末路をたどるのだろうか。自分でも不思議だ。


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