眼鏡のない生活
1.7月24日  2.7月25日  3.7月26日 

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番外.8月3日

1.7月24日
 事件が発生したのは突然だった。
 昨晩、ネット通信将棋対局をしていたら、いきなり眼鏡の左のレンズが落ちたのだ。よく見るとレンズを止めるネジが外れてしまっている。我が家には眼鏡用のネジはないので、直しようがない。
 とりあえず、レンズをフレームに入れ、力ずくでレンズを押さえた。これで、明日眼鏡屋に行って直してもらえれば何事もなく話は終わるはずだった。結果的にはここで不恰好でもセロテープか何かでレンズを固定しておくべきだったのだ。今更悔やんでも仕方のないことだが…。
 そして今朝、仮止めの状態のまま出かけた。眼鏡屋は隣町にでもあるが、もともと新宿に用があったので、新宿の眼鏡屋に行くことにした。修理のついでに、新しい眼鏡も買おうと考え、ならば慣れた所にしようと思ったのだ。これも今にして思えば選択ミスだった…。
 電車の中で、ちょっと振り向いた時にまたレンズが落ちた。しょせん仮止めだから仕方がない。まあ、新宿につくまでの辛抱だ、と思い、再び手で押さえて仮止めした。
 筆者の家は千葉の幕張本郷なので、そのまま乗っていれば新宿に行く。しかし、御茶ノ水で快速に乗りかえれば、数分ほど節約できる。ちょうど御茶ノ水に着いた時に向かいのホームに快速が入ってきた。ピッタリの接続だ。その時は1分後の悲劇など思いもよらなかった。

 快速に乗りかえるべく電車を下り、ホームを歩いて向かいの電車に乗り換えようと、入口をまたぐ。その時「今、レンズが落ちたらえらい事になるな」という考えが脳裏をよぎった…と同時に、レンズが外れ、線路に落ちた。  電車とホームとの隙間は10cmほどしかない。そんな狭い所に落ちるのだから、不運としかいいようがない。しかし、悪いことが起きるとき、というのはえてしてそういうものだ。
 仕方がないので、そのまま電車に乗り、新宿へ行った。眼鏡屋までの道は百回以上歩いた道だ。しかし、片目がきかないと、えらく歩きにくかった。
 話が前後してしまったが、筆者の裸眼視力は0.05程度。しかも強度の乱視でもある。右は眼鏡で0.7程度の視力が出るのだから、とんでもないガチャ目状態になってしまったのだ。ヘタに両目を使おうとすると非常に変になる。したがって、左目はつぶらざるをえない。
 こうして、筆者は新宿東口のアルタのあたりを、片目をつぶりながら歩く、というマネをさらしたのであった。
 眼鏡屋では順調に話が進み、修理と新調を無事依頼できた。しかし、当初の予定と違い、レンズごと作りなおさなくてはならなくなってしまったので、修理まで5日かかる事になってしまった。一瞬「このまま5日間、0.05の視力で生活するのか…」と青くなったが、幸い、眼鏡屋から「ないよりはマシ、程度の度数ですが、お貸しできます」という救いの声をいただいた。
 その眼鏡で出せる視力は従来の半分くらいだった。それで街を歩くのは相当の苦労を要する。世界の広さが半減したようなものだ。デパートに入ってトイレに行こうとしても、相当近づかないと表示が分からない。店に並んでいるものも、相当顔を近づけねば判別できない。目の疲れも倍以上だ。
 事故にあうのも嫌なので、普段歩きなれている所しか歩かなかったが、これで知らないところをあるくようなハメになったらどうなるのだろうか、とゾッとした。
 とりあえず無難な行動に徹して初日は無事ごまかせた。あと4日間、無事にすごせるだろうか?

2.7月25日
 この日は将棋大会があった。筆者は選手兼運営係なのでとても忙しい。将棋を指すために盤の前に座ったのだが、駒の字がきちんと見えない。もちろん、見間違えはしなかったが、思考に影響を及ぼした。野球でいうなら、1回に10点差をつけながら逆転負け、というような内容だった。
 運営のほうは、いつもやっている事をするだけなので、さほど困りはしなかった。しかし、視野が狭くなったため、いつもより動きは緩慢にならざるをえなかった。
 まあ、なんとか無事にこなした。視力が半減する6日間の間ではこの日が一番きつい日のはずだったので、「これなら大丈夫だ」と楽観していた。

3.7月26日
 視力が半減してから初めての仕事である。筆者の今いる部署はやや人員過剰気味なので、さほど忙しくはない。7割がコンピュータ関係で残りがデスクワーク、という感じなので、遠くを見たりする必要はない。
 まわりの人達も筆者の目がおかしい事に気づかなかった。もちろん仕事上の問題もなく、昨日の事もあり、これなら大丈夫、という思いを強くした。
 帰宅後もインターネットや通信将棋のみならず、表作りまでも行い、おそくまでモニタを見ていた。

4.7月27日
 午前中は昨日同様何もなかった。もうすっかり安心しきっていて、眼鏡破損以前のつもりで仕事をしていた。
 ただ、今振り返ってみれば、やはり全体的な能率や頭脳の冴えはかなり下降していたようにも思える。
 午後、部署のネットワークプリンタを入れ替える、という以前からの予定があった。そこで設定の担当者にくっついてサーバーの小さい画面を遠くから凝視していた。その時は「やはり眼がちゃんと見えないと不便だな」程度にしか思っていなかったが、数時間後、激しい目の筋肉痛に襲われた。
 いわゆる「疲れ目」というやつなのだが、そのきつさは生まれて初めてのものであった。とにかく「物を見る」という事が苦痛なのだ。目はもちろん、頭も痛くなる。幸い帰りの電車で座って寝れたので家に帰る頃には少しは落ちついた。しかし、TVを見るのもつらいので、プロ野球オールスターはラジオで観戦せざるをえなかった。
 そして、何度も自分に「あと一日半」と言い聞かせていた。直った眼鏡を取りに行くのも、当初は29日の昼休みにしようと考えていたが、今日の夕方には29日に時間休を取って、開店と同時に取りに行こうと考えるようになった。つまり、数時間でも早く視力を取り戻したい、という心境なのである。

5.7月28日
 この日あたりになると、思考力が減退している事がはっきり自覚できるようになった。
 目の筋肉を酷使して疲れる上に、視界が狭くなるのも原因のようだ。不思議なことに、見える範囲が狭くなると、考える範囲まで狭くなってしまう。とにかく頭が働かないので、仕事もなるべく単純作業に徹する事にした。
 まだ1日前の事なのだが、実は何をやっていたかもあまり覚えていない。前日に続いてプリンタの設定に苦労した事だけは確かなのだが・・・。

6.7月29日
 ついに待ちに待った修理完了日が来た。
うちの職場は時間休が取れるので、眼鏡屋開店時刻にあわせて1時間休み、新宿に行った。暑いさかりだが、視力が戻る喜びのほうが強かったので、さほど気にならなかった。
 さっそく眼鏡屋に行き、受取票を渡す。店員が眼鏡を探す時間がやけに長く感じた。そして受け取った眼鏡をかけて外を見まわす。5日ぶりに見る、ボヤけていない風景だ。
 「ものが普通に見える」という事がどれほど貴重か、という事を再認識した。見えない間は、普通にしているだけで目が疲れてしまう。また、思考にかかる負担がなくなったのも大きかった。
 日ごろ、当然のものとして考えていたものが、いかに重要か、さらにそれを失うといかに大変だかを痛感した数日間だった。

 その後、30日の金曜日は普通に仕事をし、31日の土曜日は夕方に職場の人たちとバレーボールをやった。土曜日は昼前に起きて深夜1時ころに就寝、それからまた14時間以上寝ていた。
 運動した疲れもあったのだろうが、それ以上に、眼鏡破損による疲れが尾をひいたのでは、と思っている。

番外.8月3日
 この日は新調したほうの眼鏡を引き取る日である。今度は余裕があるので、仕事が終わってから店に行った。
 新調した眼鏡は、既存のものとほぼ同じ形である。理由は簡単で、フレームを選ぶ時点では眼鏡が壊れており、見て選ぶ余裕はない。したがって店員さんに「今のと似たのを」と注文し、もってきたものを一発で選んだからだ。
 新しいのを一度かけてみたが、うまく顔にあわなかったので再調整してもらった。その間、鏡を見ていたのだが、そこで意味もなく左手で眼鏡の位置を調整する自分に気づいた。
 その時やっと故障の原因がわかった。つまり自分には半ば無意識に眼鏡の左のレンズとフレームの継ぎ目のあたりを触って眼鏡の位置を調整する癖がある。それが積み重なって、だんだんとネジが緩み、ついに今回の悲劇に結びついた、というわけである。
 あたかも、水滴が長い間に石に穴をあけるかのごとくのネジのゆるみかたである。おそらく、最初に書いた「突然の事故」の直前にも、筆者は無意識で癖を出していたのだろう。
 癖というものは恐ろしいものである。これに気づいてからも相変わらず眼鏡の位置を調整する癖はあるが、無意識であるにもかかわらず、決してネジのあるところは触らなくなった。