黒板消しのプロ
 10年くらい前の古い年賀状を整理していたら、高校時代3年間クラスメートのN君から来たものがあった。なかなか個性的な内容だった。そしてふと彼の事を思い出した。

 筆者の通っていた高校の教室は、やけに黒板が多かった。前面はもちろんのこと、背面のほぼ全部と、廊下に面する部分も黒板だった。しかも、地の色は茶色だからチョークの白がより目立つ。
 ところが、入学してしばらくたったある日、黒板が非常にきれいになっていた。チョークの跡はもちろん、黒板消しを使った時にできるスジすらないのだ。そして、黒板のへりには、見慣れない大型黒板消しが二つ置いてあった。長さは50cmくらいはあった。
 それはなんとN君の自作の黒板消しだったのだ。そして、授業が終了すると、彼はその二つの巨大黒板消しを両手に持って拭き始めた。どういう技術を使うのかわからないが、二つの巨大黒板消しが通ったあとは、スジひとつない、新品の黒板のようになるのだ。
 もちろん、高校に「黒板消し係」などといった役があるわけではない。ボランティア精神なのか、趣味なのか、潔癖症なのか。とにかく彼は授業が終わるたびに、教室の三面分の黒板を跡ひとつなくきれいにしていた。
 入学から半月くらいしたある日、教室に上級生からの「手紙」が置いてあった。内容は「黒板少年くん、ぜひ私たちの教室の黒板も拭いてください」というものだった。彼のうわさは学級・学年を越えて広がっていたのだった。  ちなみに、高校の制服は「学ラン」だったが、彼はチョークの粉がかからないように、白衣を来ていた。巨大黒板消しを二つ持った白衣の生徒は、ちょっとした名物となりつつあった。なお、一時期は「粉が顔にかからないように」というわけか、怪しげなマスクをつけていた事もあったが、これはすぐにやめてしまっていた。
 クラス替えがあった時も、彼とは同じクラスだったので、筆者は3年間、新品のような黒板で授業を受けることができた。このような「プロ」が他にいたとは思えないから、この時期、我が高校は日本一黒板のきれいな学校だったかもしれない。実際、夏期講習などで予備校に行くと、黒板の汚さがやけに気になった。

 三年間クラスが同じだったわけだが、彼と特に交友があるわけではなかった。気が合わないわけではない。ただ、接点がなかっただけだった。
 彼との最大の思い出といえば、筆者が3年の時に学内誌に書いた文章についての事である。国鉄解体に関する感傷を書いたところ、彼は共感を覚えてくれたのか、年賀状にそのことを書いてくれた。貰ったときは嬉しかったが、受験期だった事もあり、それに対するお礼すら言わなかったと思う。

 卒業後、年賀状だけはやりとりをしていたが、会うことはなかった。そしてある年の2月、筆者が大学の合宿から帰ってくると、机の上にメモがあった。そこにはN君の訃報が書かれていた。
 葬儀などは家族だけで行うという事だった。したがって彼の死については、その伝言以外になんら実感がない。一度だけ結婚式で高校時代のクラスメートで集まり、徹夜で飲んだ事があったが、その時も彼の話題は出なかった。
 そして、冒頭に書いたように、年賀状の整理をしていて、ふと彼の事を思い出した。顔の記憶はあまり自信がないのだが、授業終了後に白衣を着て、二つの巨大黒板消しで拭いている彼の後姿は、はっきり記憶に残っていた。