思い出の家
 1979年から80年まで、小学4年から5年だったとき、父親の仕事の都合で兵庫県西宮市の樋之池町という所に住んでいた。住んだ家は2階建ての一戸建てだった。それまで団地に住んでいたため、とても新鮮な印象を受けた。
 それまで住んでいた東京の住宅地はどこに行っても家しかないという感じだが、こちらはまだ開発途上という感じで、家の前は空地で小さい山もあった。この山の中ではよく遊んだ。また、家の裏も空地だった。こちらは我が家と直に接していた事もあり、裏庭みたいな感じだった。そこを耕して、トマトやナスなどを育てたものだった。
 他にもすぐそこにゴルフ練習場や乗馬クラブなんかもあった。とにかく、余裕のある土地の使い方がされていた。
 西宮市は大阪湾と六甲山地の間の平野部分が狭い。そこで、ちょっと北に行けばすぐに山だし、南に行けば海だ。ちょっと見晴らしのいい所に行くと海が見える。苦労して坂を登った所から見える海は本当にきれいだった。
 住環境はもちろんだが、生活環境も新鮮だった。言葉をはじめ、さまざまな環境がそれまでの東京とは違っていた。しかしながら、比較的自分にあった環境だったようで、違和感無く溶け込めることができた。
 また、市内には甲子園と西宮の二つの野球場があったので、よく観戦に行った。特に高校野球は外野が無料なので何度も通った。一度などは家から1時間くらいかけて歩いて行って「完全無料観戦」をやったほどだった。また、1980年には西宮でのオールスターの観戦もした。
 1年数ヶ月程度だったが、丁度10歳から11歳という時期だったこともあり、いろいろな点で、人間形成に影響を受けた受けた関西生活だった。たとえば、うどんを食べだしたのがこの頃だったため、うどんのツユは関西風でないとダメだ。33年の人生のうち、32年を関東で過ごしているにも関わらず、ある意味不思議な話である。他にも、自分の中に「関西的」なものを感じる時は少なくない。

 というわけで、関東に戻った後も、この樋之池町の家の事は忘れられず、関西に行く時に時間があれば、行くようにしていた。行くたびに、空地は開発されていた。向かいの山は大型スーパーとなり、乗馬クラブもゴルフ場もマンションや店になっていた。駅からは遠いところなのだが、やけにお洒落な飲食店などができていた。数年前に行った時は、かつてナスやトマトの畑にしていた家の裏の空地だった所にも立派な家が建っていた。
 そして先日、関西方面に用事があった時、また樋之池町に寄った。かつての家の前に行ったが、なんか様子が違う。門から玄関までは10mほどの通路になっているのだが、かつて小さい花の咲く小木が植わっていたその通路は、雑草に覆われて、人が歩けないようになっている。また、玄関の裏には雨ざらしになった新聞が落ちている。明らかな空き家だ。
 脇から見てみたら、壁にはヒビも見受けられた。あらためて、新築の時に住んでから20年以上経っていることを実感した。
 もちろん、空き家でも誰かが住んでいても自分にはもう関係のないことなのだが、やはり「かつて自分が住んでいろいろな影響を受けたところ」が誰もいない草むした所となっている、というのは物寂しいものだった。