四半世紀ぶりに幕張メッセで同人誌を売る

2015/4/10

 1988年、大学に入ってから、弟の手伝いでコミケにサークル参加をするようになった。一応、自分でもコピー本を作って売ったりもしていた。ちなみに、当時のジャンルは「政治経済」だった。
 当時のコミケは「二度目の晴海」で行われていた。
 1985年の高校入学の時から一般参加で晴海のコミケに行き始めたのだが、何年かして、大田区の東京流通センターに移転していた。しかし、すぐに晴海に戻っていた。そのため、自分的には「コミケ=晴海」という感じだった。
 ところが、1989年の夏コミの時、「次回から幕張メッセで開催します」という案内が行われた。それには、クジラの形を模した、巨大なホールの完成予想図がついていた。夏の時点ではまだ建築中だったのだ。
 現在の幕張新都心には、高校時代、一度だけ見たことがある。当時、西船橋−千葉みなと間を往復していた開業当初の京葉線に乗った時の事だ。
 その時の「なにもない所」という印象が強かったので、あんな所でコミケをやるのか、と驚いたものだった。

 そして、1989年の冬、初めての幕張メッセでのコミケが開催された。
 当時、京葉線は東京−新木場間は未開通だった。そこで、三田線で日比谷まで行き、そこから有楽町線に乗り換えて新木場に行き京葉線に乗り換える、という経路を使った。
 初めて降りた海浜幕張駅は、不思議なところだった。
 立派な道路と歩道橋はあるのだが、建物はほとんどない。そして、駅から10分ほど歩いて歩道橋を渡ると、完成予想図で見た幕張メッセが姿を表した。
 なかなか不思議な風景で、今も印象に残っている。

 続いて行われた1990年の夏コミは落選した。そこで、一般参加として、その年の春に東京まで開通した京葉線で幕張メッセに向かった。
 余談だが、当時の海浜幕張駅は、快速が停車していなかった。現在、特急停車駅になっている事を考えると、時代の流れを感じる。
 比較的余裕を持っていったはずだったが、一般参加の行列は異常に長い。
 ここに何時間も並ぶ気は置きなかったので、海浜幕張駅に戻った。そして京葉線で蘇我に出て、そこから千葉に戻り、さらに幕張本郷に戻った。行列に並ぶくらいなら、電車に乗ったほうがいいという考えだ。
 そして、幕張本郷の駅で降りる。海浜幕張ほどではないが、こちらもあまり店がなく、寂しい駅前だった。そして、当時は、まさか8年後にこの街に住むことになるとは、夢にも思っていなかった。
 そこで昼食をとったあと、バスでメッセに向かった。もう昼すぎだったが、まだ行列があった。これも印象に残っている。

 次の冬コミは当選し、東京から京葉線でメッセに行った。いつも通りに本を売って、いつも通りに撤収する。その時は、まさか次にここで同人誌を売るのが、25年後の2015年になるとは、夢にも思っていなかった。

 翌1991年、「わいせつ図画問題」などにより、夏コミは幕張メッセではなく、晴海で行われることになった。通達が来た時はかなり驚いたものだが、結果的に晴海で開催できた。
 「東京でできるので、なぜ千葉でできないのだ」みたいな不快感もあったが、別にそれほど強いものでもなかった。ちなみに、別の団体が1994年に幕張メッセで即売会を企画したが、これまた募集まですんだ段階で一悶着があり、急遽中止となっている。
 それだけに、幕張メッセは「同人誌即売会が開催出来ない会場」という印象が定着した。その後、千葉に住むようになり、幕張メッセの赤字問題を知るようになった。それを聞くたびに、「あの時、同人誌即売会にあんな態度をとったからだ」と思ったものだった。

 そういう事もあり、幕張メッセには行かなくなった。その間に、海浜幕張駅周辺は大きく変貌した。ビルが立ち並ぶ「新都心」になったのだ。
 1990年代半ばこの地域を通り過ぎた事があったのだが、あの何もなかった街がビル街に変わった事には心底驚いたものだった。
 そして1997年秋に、幕張本郷に転居し、幕張新都心やメッセは「地元」となった。
 そのため、資格試験会場・確定申告など、極めて身近な用事でメッセに行くことになった。また、IT関係の展示会でも何度も行った。
 しかしながら、一番最初の目的だった「同人誌即売会」で行くことはついぞなかった。

 その幕張メッセで、夏冬のコミケではないものの、同じ団体が運営する「コミケットスペシャル」が2015年3月に行われ、相方がサークル参加する事になった。
 自分にとっては、ほぼ四半世紀ぶりとなる、「幕張メッセで同人誌販売」である。
 あらためて、あれからそれだけの時が流れたのだな、と思った。
 実際、自分と一緒に本を売っているのは、当時は存在すら知らなかった相方である。
 そして、かつてはバスと電車を乗り継いで1時間以上かけてきた幕張メッセには、今ではバス一本で行くことができるようになった。
 そして、かつては何もなかった海浜幕張は、巨大ビルが林立する、「新都心」となっている。

 とはいえ、変わらないところもいくつもある。
 当時一緒に参加していた弟は、同人誌こそ作らなくなったが、今でもサークル参加で人が足りないと手伝ってもらっている。
 また、その1990年に知り合い、弟との同人誌販売を手伝ってもらっていた友人がいる。その彼にも今でも手伝ってもらっている。
 相方を含めた四人でイベント終了後に打ち上げをやることもあるのだが、そうやって飲んでいると、「四半世紀たっても変わらないものは変わらないのだな」と思ったりする。
 そして、同人イベントのほうも、当時とさほど変わっていない。派手な「企業ブース」などもできたが、同人誌そのものは、相変わらず、折りたたみ机の上に本を並べ、折りたたみ椅子に座って売っている。
 その光景は、「前回」とさほど変わっていない。それだけに、25年ぶりにここで同人誌を売っているのだな、と思うと、少なからぬ感慨があった。
 そうこうしているうちに時間が来たので、幕張メッセを後にした。そして、地元民ならではの裏ルートを使った。
 そんな形でメッセから「帰宅」する日がくるとは、当時は夢にも思っていなかったな、などと思いながら、バスに乗った。