スーパー民族シリーズ

 「スーパーヘブライ人 愛の旅立ち」「スーパーエレビエン」の二作が連続して掲載された。ただ、両作品に設定などの関連性はない。また、「民族」が主題のようだが、民族らしさに関する描写は、「エレビエン(アラビア人)」がターバンをまいて「アラーの神のおぼしめし」と言うのと、絨毯に乗って空を飛ぶことくらいだ。
 当然ながら、ユダヤ人やアラビア人への差別を意図したような作品ではない。むしろ、題名とか民族とかは便宜上の表示みたいな物だ。キャラクター性に依存せず、純然たるギャグセンスの鋭さだけで笑える話を作るという、ながい閣下ならではの作品と言えよう。

 一作目の「スーパーヘブライ人」は、究極の極悪人とも言える存在。「ヘブライ人」というのは、西暦紀元頃のユダヤ人の事のようだが、彼は端正な白人風で頭にターバンを巻いており、しかも抜き身の刀を持ちながら歩いている。当然ながら、聖書の絵・映像に出てくる「ヘブライ人」とは似ても似つかない。まあ、抜き身の刀を持って街を歩く、などという民族など、どこにもいないが・・・。
 冒頭、そのヘブライ人は、メリエンヌなる美女とデートしている。その時点での彼は、抜き身の刀を持っている以外は、単なるラブラブ男でしかない。ところが、そこに光に包まれた悪魔が唐突に現れ、メリエンヌを攫うと、彼の極悪ぶりがいきなり現れる。
 まず、彼は悪魔に対し、別の女性を攫うように要請、「この女なんかお似合いでゲスよ」などと言う。それが受け入れられないと知ると、いきなり、通りがかりの女連れを斬殺(ちなみに被害者は当時の作者が愛用していた自画像)し、さらに近隣の男を殺しまくる。
 さらに悪魔が再び現れると、メリエンヌを取り返すべく、決闘を挑む。すると悪魔は、定番とも言える「三歩歩いて振り向いたら撃つ」を提案する。しかし、ヘブライ人は「悪魔のくせに紳士だな」などと心の中で思い、律儀に三歩歩こうとする悪魔の背に銃弾を撃ち込み、勝利(?)する。
 そして、メリエンヌと感動の再会を果たすが、何とメリエンヌは悪魔の魔法でカニに変えられていた。しかも、この魔法は悪魔にしか解けない、と言われる。すると次の瞬間、ヘブライ人はカニを踏み殺し、泣きながら「恋人大募集」と叫ぶのだ。
 なお、ながい漫画の原則として「女性はひどい目にあわせない」というのがある。その原則をもはずれた極悪ぶりをヘブライ人は見せてくれたわけだ。ちなみに、ながい漫画において、被害を受けた女性は、1983年に掲載された二コマ漫画でのサザエさん以来の事だった。
 とにかく、ここまで極悪ぶりを、しかも表情に一切「悪意」を出さずに描いた事には驚かされた。なお、この「ヘブライ人」は後にスケベスト=オンナスキーZ作戦にもゲスト出演している。

 翌月発表された「スーパーエレビエン」は「ヘブライ人」に比べれば善良といえる。しかしながら、神のおぼしめしと称して、他人の家に勝手に入って食事したり音楽を聴いたりし、追い出しにかかった家人に暴力をふるうのだから、ろくでもない事にはかわりはない。
 ただ、こちらの話の実質的な主役はそのエレビエンではなく、侵略を受けた家の父親である。アラーの神の名を出すエレビエンに対し、「ひるむな、我々にはガウダマ=シッダールダの教えがある」などと、仏教を前面に出して対抗(?)する。
 そして息子二人が敗れると、「引かぬ、仏教に後退はない!」などと、「北斗の拳」のサウザーみたいな事を叫ぶ。そして何をするかと思いきや、警察に電話する。さらに、それに気付いたエレビエンに倒されると、急に「フフ・・・ついにやりやがったかアラビア人。お前ならやれるかもしれぬ・・・この世に光をもたらせるかもしれぬ・・・」などと唐突に彼を賞賛し、作者に「死ぬまぎわにいい奴になるんじゃねえ」と突っ込まれる。
 この頃のジャンプでは、敵キャラが主役に倒されると、急に善人になる、というパターンが流行していた。そのパロディでもあるのだが、実際のところ、この父親は純然たる被害者なのである。それがいきなり、「改心した悪役」の真似事を始める、というのも面白い。また、この「死ぬまぎわにいい奴になるんじゃねえ」は、ファンロード内でちょっとした流行語にもなった。

 二作あわせてキャラが立っているのは、「究極の極悪人」である「ヘブライ人」くらいなものである。最初にも書いたように、キャラをほとんど作らずに純粋なセンスだけで作られたギャグ作品と言える。そして、20年以上たってもその中の台詞は少なからず記憶に残っている。