看板猫のいた酒屋

2007/3/21

 「幕張名物」を売るプティ・マリエの数軒向こうに、「くりはら」という酒屋がある。
 我が家から一番近い酒屋なのだが、入っても内装はパッとしない。たまに、レジの脇に「特価品」などと書いてあって、スナック菓子やつまみが積んであるのだが、よく見ると、賞味期限が当日だったりする。どうせやるなら、二週間くらい前にやればいいのに・・・などと思ってしまう。
 酒屋なだけに酒だけは豊富にあるが、それ以外は非常に寂しい。賞味期限内のつまみも、しなびたバタピーだの、やけに高いサラミだのばかりだ。
 さらに、隙間の多い雑誌コーナーには、週刊コミック誌と並んで、えぐい表紙の雑誌が置いてあったりもする。
 しかも、レジにいるやや高齢の女性は、普段は愛想が悪くはないが、利益率の低いビール券で購入すると、とたんにつっけんどんになる。
 などなど、さまざまな問題点のある店だが、筆者は酒を買うのは原則この店と決めていた。その理由は、表題にも書いた「看板猫」の存在だ。

 ある時期から、その酒屋のレジに箱が置かれ、そこで猫が丸まるようになった。日によっては、店内を歩いていたりもした。美猫というにはほど遠い、黒と白のぶち猫で、客に愛想を使うわけではない。レジの上で丸まっている時に頭をなでても、面倒くさそうにこちらを向くくらいだ。
 というわけで、お世辞にも可愛いとはいえない猫だった。にもかかわらず、不思議と気にかかる猫だった。なんか、その「自分の道をいく」という、店内での態度も、妙に好感が持てた。
 そのように「部屋」まであるにも関わらず、実はこの猫、その酒屋の飼い猫ではなかった。しかしながら、八割以上の確率でこの酒屋にいた。一度、嫁さんが、夕方の買い物の際にこの酒屋の前を通ったら、扉の前で開店を待っていた姿を見たとのことだった。ちゃんと時間にあわせて「通勤」していたわけだ。
 とにかく、この猫の存在により、その酒屋への印象はガラリと変わった。さらに、レジの上の猫をなでると、店員も我が子を可愛がられたように喜ぶ。したがって、店の雰囲気も良くなる、という好循環だ。レジに並ぶときにたまに先客がいて猫をなでている事もあった。普通、レジで待たされると不快なものだが、この店に限っては、全然そのような事はなかった。

 さて、3月のある日、いつものように酒を買った。相変らずレジには猫がいて、なでたら、ちょっとこちらを向いてくれた。
 それから2週間ほどたったある今日、買い物に行ったら、酒屋のすぐそばの食堂の入口に、猫の遺影と追悼文が張ってあるのを嫁さんが見つけた。その写真は、酒屋のレジで見慣れた姿と酷似していた。しかし、その時点では酒屋は閉まっており、確認できなかった。
 買い物を終えて戻ると、開店していた。入ってみると、この前酒を買った時に猫が寝ていた所には、猫の代わりに、遺影が飾ってあった。レジにいたのも、いつもの女性ではなかった。
 先客が何人かいたが、いずれも代役と思われる店員に猫の死について尋ねていた。今更ながら、彼がいかに好かれていたか分かった。
 酒を買う目的は、楽しむためだけではない。むしろ、その日にあった不快な事をまぎらわせるべく酒を求める事も少なくない。そんな時、この猫の存在を見るだけで、嫌なことでささくれだっている心がある程度おさまった。そういう意味でも、彼には大変感謝している。
 今後、もう、酒屋で猫をなでることができないと思うと、本当に寂しい。