幕張名物

2007/3/14

 幕張本郷に住むようになって、9年半ほどたった。ところが、ごく最近まで「幕張本郷の名物は何か」と問われても答えることはできなかった。い。それどころか、元祖の幕張、さらには新興の海浜幕張を含んだ「幕張全体」での名物が何か、と言われてもやはりすぐには思いつかなかった。
 一見、海浜幕張地区には千葉マリンスタジアム・幕張メッセ・幕張新都心などがあり、「名物」には事欠かないと思われがちだ。しかし、神宮球場が新宿区名物ではないのと同様、マリンスタジアムも幕張名物とは言えない。もちろん、マリーンズは千葉の球団であって、幕張の球団ではない。
 幕張メッセも、「幕張のもの」という印象は薄い。それらを含んだ「新都心」だって、「海浜幕張の象徴」ではあるのかもしれないが、別に「幕張の名物」という感じではない。新都心に本社を置いている有名企業としてはイオンなどがあるが、「イオンは幕張の会社」などと思う人は誰一人いないだろう。
 というわけで、駅ができて25年ちょっとの幕張本郷はもちろんの事、古くからある幕張、人工的な都市である海浜を含め、「幕張名物」と明言できるものは聞いたことがなかった。また、何年住んでいても、そのようなものの必要性を感じた事はなかった。

 ところが、約一年ほど前、ふとしたきっかけで、「幕張ならではの名物」は何なのだろうか、と考える機会が生じた。最初に書いたように、海浜地区を含めていろいろ考えてみたのだが、やはり「これが幕張名物」と言えるものはなかった。
 そこで、ネットで「幕張名物」で検索をかけたところ、意外なものが一番上に表示された。
 それは、我が家から歩いて3分ほどの所にある洋菓子屋「プティ・マリエ」の「幕張ポテト」だった。この店は、20世紀の終わり頃に幕張本郷にできた洋菓子屋だ。当初は、建物の半分で営業していたが、やがて隣の部分にも店を広げ、さらに支店まで作った。また、マリーンズのバレンタイン監督の誕生日にケーキを作って提供した実績もある。
 それだけの事はあり、味は確かだ。甘い物が苦手な筆者も、この「幕張ポテト」並びに「げんこつ型シュークリーム」はすぐに好物となった。いずれも、しつこい甘さがなく、また作りが非常にしっかりしている。
 ちなみに、「幕張ポテト」は、やや和風の入ったスイートポテト、といった感じだ。それがなぜ「幕張名物」かと思う向きもあるかもしれないが、実は幕張と薩摩芋には深い関係(?)があったりするのだ。

 関東で薩摩芋を初めて栽培したのは、江戸時代の青木昆陽である事を日本史で習った記憶のある人は多いだろう。一般的に、昆陽が薩摩芋の栽培に成功したのは、現在の小石川植物園のある所とされている。しかし、実際には他に幕張と九十九里浜でも薩摩芋の栽培は行われていた。その功績をたたえて、京成幕張駅近くには「昆陽神社」が建っている。また、そのあたりで見かけた碑によると、「三箇所で栽培したが、最初に成功したのは幕張だけだった」という記載があった。
 さらに、この文章を書くためにウィキペディアで青木昆陽を調べていたら、「関東で薩摩芋栽培を広めたのは昆陽でなく、幕張の隣町である武石に住んでいた薩摩浪人という説もある」なる記載があった。いずれにせよ、幕張と薩摩芋には少なからぬ関係があるわけだ。
 というわけで、この「幕張ポテト」は検索エンジンの上だけではなく、歴史的にもまさしく「幕張名物」と言える商品なわけである。

 店に行くには、総武線の幕張本郷駅の改札を出てそのまま直進する。出たところが跨線橋の上となっているので、そのまま左折し、階段を下りると三十メートルほど向こうに店の入口が見える。菓子を買って帰ることももちろんできるが、隣接する喫茶室でコーヒーを飲みながらその場で食べることも可能となっている。営業時間は10時から22時まで(日曜は20時半まで)で、定休日は月曜日(月曜が祝日の場合は火曜休)となっている。
 「幕張」の名を持つ駅は三つある。そのうち、幕張には伝統が、海浜幕張には新都心という華やかさがあるのに対し、幕張本郷には売りになる物がない。そのような駅の裏手にある歴史の浅い小さな洋菓子屋に「幕張名物」が売られているわけだ。その地味さも、ある意味、幕張らしい「名物」と言えるかもしれない。