2003年1月前半のつれづれの日々(更新情報)
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2003/1/15
 小泉首相が、3年連続で靖国神社に参拝しました。参拝の理由は「新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめ、二度と戦争を起こさないように」だそうです。かつての日本が「戦争を起こした」事を全肯定する主張をしている施設に参拝した理由が「戦争を起こさないように」とは何かタチの悪い冗談を聞いているようです。さらに先月には戦争を起こそうとしているアメリカに協力すべくイージス艦を派兵しているのですから、ここまで来ると鉄面皮を通り越して、精神構造を疑いたくなります。まあ、自らの政策で不況が悪化しても、その政策を見直そうとしない経済感覚の持ち主にふさわしい「平和感覚」と言えるかもしれません。そういう意味ではバランスだけは取れています。靖国神社とそこに参拝する政治家の異常さについては以前こちらに書きましたが、今回は今までよりさらにひどい異常さを感じました。
2003/1/14
 昨日の相撲の結びの一番で雅山関が貴乃花関相手にものの見事な「一本勝ち」を見せてくれました。しかし、投げた後に雅山関の手がつくのと、投げられた貴乃花関の体が落ちるのが「同体」として取り直しとなりました。片方が豪快に裏返ったところといい、その後の判定の不可解さといい、2年半前のシドニー五輪の篠原選手とドイエ選手の試合を思い出してしまいました。確かに、昨年秋場所は貴乃花関の優勝争いをした事により、集客・注目度が大きく上がりました。昨日の判定もその事を意識しての「配慮」があったように感じました。しかし、仮に貴乃花関の敗戦のために入場者数が落ち込むような結果になっても、相撲協会審判部として守らねばならないものがあったのでは、と思います。
2003/1/13
 千葉の中心駅はJRの千葉駅・京成の京成千葉駅ですが、もう一つ、京成の千葉中央駅というところが第二のターミナルみたいな存在になっています。今日、久々にこの千葉中央駅で降りました。駅から2分くらい歩いて大通りに出たら、シャッターを下ろした8階建てくらいのビルが2軒もありました。2年前に行ったときは片方は百貨店もう片方はパソコンショップだったのですが、ともにつぶれてしまっていたようです。JRの千葉駅から歩いても10分程度のところなのですが、そのような便利な立地条件でもやっていけないとは驚きました。帰宅してネットで調べてみたら百貨店は2001年10月に、パソコンショップは2002年2月につぶれていました。つぶれた事自体はもちろん、つぶれて1年たっても空きビルのまま、というのはさらに衝撃でした。政令指定都市の県庁のすぐそこに立ち並ぶ空きビル、というのはとても物寂しい風景でした。こういうのを見ると、「不況」というものをより一層実感させられてしまいます。
2003/1/12
 理科年表には「県庁同士の距離が近いランキング」なるものが掲載されているそうです。それをもとに「近接している県庁間のベストテンはどこか」という問題が、よく行くサイトに出題されていました。こういうのは好きなので、思いついたものを書き出して「回答」として掲示板に書きました。そのあと風呂に入ったのですが、どうしても何かひっかかりました。何か一箇所記載を忘れているような気がして風呂の中で延々と悩みました。その結果、「大阪−奈良」を忘れていたことを思い出して、訂正版を掲示板に書き込みました。それが攻を奏して(?)見事全問正解となりました。もちろん、何かもらえるわけでも、誰かに誉めてもらえるわけでもありませんが、さんざん考えた結果が実るというのは嬉しいものです。それにしてもなぜ「県庁同士の距離が近い順番」が理科年表の対象になるのか、不思議でなりません。
2003/1/11 電算室を更新しました。
 ネットで宿泊情報を探していると、カプセルホテルのサイトを見ます。確かにカプセルホテルは終電がなくなった人だけのものでなく、旅行者が計画的に使うのにも便利です。しかしながら、それをネットで予約するというのはどんなものでしょうか。ネット予約をすれば宿泊料が200円くらい安くなるみたいです。しかし、カプセルホテルのフロントで「ネットで予約した○○です」と言わねばならない気まずさを考えれば、200円程度の割引など割が合わないと個人的には思うのですが。
2003/1/10 −アクセス数が35000を越えました。ありがとうございます。−
 1ヶ月ほど前に東陽レックスとかいう先物会社から電話がかかってきました。「私は新人なのですが近くを今回っていてついでに寄りたい」だのと回りくどくグダグダ言ってきます。もちろん適当な所で断ったのですが、「相手に電話を切らせずに会う方法」をマニュアル化でもしているのかな、と思いました。そして先日、また同じ会社から同じしゃべりの電話がかかってきました。普通そのような売り込みの会社の名前など覚えないのですが、前回の不快なマニュアルしゃべりのせいでこの会社の名前は覚えていました。おかげさまで、今度はうっとうしいマニュアル会話につきあわされる事なく、すぐに断って電話を切ることができました。営業する際には社名を覚えてもらうのは重要なのでしょうが、これでは逆効果ですね。
2003/1/9
 スカイA(※大阪朝日放送系のスカパー)に高野山大学が学生募集広告を出しています。確かに、全世界で唯一の密教学科を有する、などといった特徴のある大学ですから、全国対象の衛星放送に広告を出すのは一つの手段とは思います。しかしながら、そういうような人は最初から高野山大学に関心を持っているはずですから、スカパーの広告を見て存在を知る、という事はないのでは、という気もします。
2003/1/8
 日経BP社の出す雑誌の中で、雑誌連動のサイトやメルマガが非常に充実しているところがあります。力の入ったデータや記事を惜しげもなく掲載しており、大変参考になります。それはそれで有難いのですが、それだけで十分に満足してしまい、雑誌を買おうとする気がなくなります。他の人もそう思っているようで、そういう雑誌はたいてい休刊になってしまいます。サイトやメルマガが充実しているのがあだとなった例と言えるかもしれません。商業メディアとネットとの連動は難しいものです。
2003/1/7
 「清濁併せ呑む」という言葉があります。私は「ある程度汚いものも容認すべきだ」みたいな意味に解釈しています。しかしながら、やはり併せ呑むのは体によくないような気がします。少なくとも私は水に下水を混ぜて呑む気は起きません。確かに完全に「清」のみでやっていく事は不可能ですが、少しでも「濁」を除く努力をするほうが健康にいいのは、人間の体も組織なども同じだと思います。それにしても、この言葉を考えた人が自分を「清」と認識していたのか「濁」と認識していたのかは非常に興味深いところです。
2003/1/6 毒舌の間を更新しました。
 実家のすぐ近くにある交差点には「同栄信用金庫」という中小信金の本店と、協和銀行の支店が国道を挟んで向かい合っていました。それが協和銀行の支店は閉鎖され、そこに糸井重里さんが入って「明るいビル」という名前に変わりました。一方、同栄信用金庫も再編のあおりを受けて昨年秋から「さわやか信用金庫」という名前になりました。昨日初めて新しい名前になった二つの建物を見たのですが、「明るい」と壁に書かれたビルと、と「さわやか」という看板が国道を挟んで向かい合っているのは、なんとも言えない奇妙な風景でした。
2003/1/5
 この1週間は比較的怠惰に過ごしました。おかげで肉体的な疲れは取れたようでしたが、その反動という感じで精神的にダルくなっていました。明日から仕事を始めるのにこんな事で大丈夫なのか、と我ながら心配だったのでした。妹の家に行って1歳半の甥に怖がられたり、その後実家に行って犬の散歩をしたりしていたら、なぜかモヤが晴れたような感じになりました。比較的自然に仕事モードに戻れそうです。
2003/1/4 トップページに置いていた正月用イラストを絵画館に移しました。
リンク集の「今月のお勧め」を更新しました。
 スカイAの「タイガースの懐かしの名勝負」、本日は1985年4月16日の対読売1回戦をやっていました。当時を知るファンの方なら「ショート河埜の落球」と言えば分かる試合だと思います。この試合、生中継で見ていたはずなのですが、その「落球があった」という事以外は覚えていませんでした。やはり、18年近くもたつと、その時熱心に見ていたものでも記憶が風化してしまうようです。
2003/1/3
 1990年代半ばに、高田延彦選手をエースとしていた「Uインター」というプロレス団体がありました。そこそこ人気もあったのですが、ある時期から何をトチ狂ったのか、奇行が目立つようになりました。まず、「優勝賞金1億円のトーナメントをやるから出てくれ」などという手紙をいきなり他団体のエース選手に送りつけ、結局皆に断られたのですが、その選手たちを中傷するような発言をしてひんしゅくを買いました。さらに、当時話題だったグレイシー柔術と戦うのに際し、安生という選手兼役員が「グレイシー柔術のヒクソンなんか200%自分が勝てる」などと豪語してアメリカまで「道場破り」に行って惨敗して笑いものになったりもしました。
 その会社の元幹部の一人が当時の追想録を本屋で見かけたので立ち読みしました。驚いた事にその人はかつての奇行をは自分たちが正しかったといまだに思っているようでした。特に安生氏の「道場破り」については、彼が出立前に日本で大酒を飲んでいただの、本当は交渉に行くだけのつもりが現地でマスコミに煽られて「道場破り」せざるをえなかった、などと無意味かつ苦しすぎる言い訳をしていました。そのような状況でも勝つのが「200%勝てる」だと思うのですが・・・。
 結局、団体は崩壊し、元幹部氏は1億円の借金をかかえ、その借金額を元に名づけた「市屋苑(いちおくえん)」という焼き鳥屋を経営しているようです。そこのサイトを見たら、高田選手も常連として来ていました。普通だったら「こんなふざけた経営しやがって、おかげでつぶれたじゃないか」と思って縁を切ると思うのですが、彼はよほどいい人なのでしょうか。それとも彼も当時の経営方針を今でも是としているのでしょうか。興味深いところです。
2003/1/2
 正月なので実家に行き、家族と食事をしたり、弟とガンダムの話をしたりしました。一番盛り上がった話題は、暮れにバンダイの出したシャア専用ノートパソコンでした。「通常の3倍」ならCPUをクロックアップして3倍の周波数で動くようにしたほうがいいとか、そんな無理したら発熱がひどくなるから、その時は「シャア少佐ァーッ、助けてください!」(※大気圏突入時に燃えてしまったザクのパイロットのセリフ)と言うようにするなどと、わけのわからん話をしていました。いかにも我が家らしい正月、という感じ(苦笑)でした。やっぱり実家は落ち着きます。
2003/1/1 トップページを正月限定仕様としました。
雑談コーナーを更新しました。
 新年明けましておめでとうございます。今年も「つれづれの館」を宜しくお願いいたします。皆様にとってこの2003年がいい年である事を願っています。
 私としては今年の目標は「向上」にしようと考えています。とにかく、今取り組んでいるいろいろな事に向上心をもってやっていきたいものです。もちろん、この「つれづれの館」の内容も向上させたいものです。




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