ゲーム小話


また一つ

2001/11/14

  ここに書くのも二年ぶりである。しかも今回も倒産ネタだったりする。
 業績不振でパチスロ会社に吸収されたゲーム会社SNK(新日本企画)が再建を断念したとかいう情報を見た。そこで会社のサイト(※なんか異常に遅いサーバー)を見たら、人気キャラ総出演でお別れの挨拶が掲載されていた。
 下に書いた新声社と違い、「業績悪化→パチスロ会社の傘下に」という情報は知ってはいた。さらに、人気キャラの版権をかつてのライバル会社であるカプコンに売ったのも聞いていたし、実際にそのゲームも実家でやってみたりもした。したがって「格闘ゲーム会社」としてのSNKが終った事は強く実感していた。だから、「寝耳に水」という感じはなかった。
 しかし同時に、パチスロ会社の子会社として名前は残るものだと思っていた。それだけにサイトを見たときは、意外な驚きを感じた。
 パチスロ会社が面倒見切れないほどの赤字だったのか、それとも実を失って生き残るくらいなら消えたほうがいいと考えたのか、それとも単に必要な部分を吸収されて会社形態を残す必要がなくなってしまったのか。いずれにせよ、1990年代の格闘ゲームブームの一部を担った会社が一つ消滅した。
 こちらにも書いたように、かつては一度に5万円ほど投じてハードとソフトを買った事もあった会社である。好きだった時期は非常に短かった。また、実質的な消滅は以前から知ってはいた。にもかかわらずやはり無くなるのは寂しい。
 敗れた理由は比較的分かりやすい。まず、主力のタイトルが続編ばかりで新鮮味がなかった事である。なにせ1994年に出した「キング・オブ・ファイター」シリーズ(しかもこれ自体キャラの大半は過去のヒット作から流用している)を、潰れる年まで毎年出しつづけたくらいなのだ。
 もう一つは自社製コンシューマハードの「ネオジオ」に固執した事。ファミコン時代は値段に見合った圧倒的な性能だが、プレステ2の時代ではただの前々世代機でしかない。これについても、最後の新作を2001年10月25日に相も変わらない32,000円で出していた(出すつもりだった?)というのだから驚く。ちなみにサイトの「最終更新日」は10月29日である。
 もっとも、ここまでやってくれると逆に「漢」みたいなものまで感じてしまう。もしかしたら会社の人々もそれを強く意識しての「最終タイトル」だったのかもしれない。  



  Web上の掲示板で、「新声社倒産」というニュースを聞いた。ゲーメストを発行している会社である。筆者がここの雑誌を買わなくなってから2年くらい経っており、今では立ち読みすらしていなかった。しかし、かつて一番熱心に読んでいた雑誌が会社ごとなくなる、というのはちょっとした衝撃だった。
 筆者が格闘ゲームにハマったのは、ストIIブームが起きた92年だった。とっかかりはスーファミだったが、すぐにより高度な闘いを求め、ゲーセンで対人間の試合をやるようになった。そうなると、ゲーメストを読み出すのは、半ば必然とも言えるだろう。
 ゲーム情報のみではなく、同人的趣味においてもゲーメストは重要なメディアだった。各々が強烈な個性を持ち、かつ自分で操る事のできるキャラクターを持つ格闘ゲームは、同人界でも大ブームとなり、あっという間に一つのジャンルとして確立した。ゲーメスト本誌・ゲーム攻略ムックのイラスト投稿欄では質量ともに豊富な実力者が活躍した。
 ただ、記事そのものは「読めたものではない」という水準だった。「てにをは」もしっかりしておらず、日本語として成立していない文章も多かった。さらにデザインも低レベルで、背景に本文の活字が溶け込んでしまうような配色が、1冊に数ページは必ずあった。
 まあ、逆に言えば、そのような素人的なところにも好感も持てたと言える。姉妹誌に「コミックゲーメスト」というゲーム漫画雑誌もあったが、そこで一番愛読していたのは、読者投稿四コマだった。さらに、直営のゲームショップも、狭い中にグッズが所せましと並べられ、客の熱気もなかなかだった。

 というわけで、5年くらい前には「一番好きな雑誌社」と思っていた時期もあった。しかし、儲かって神保町に自社ビルを建て、全国にゲームショップを展開するあたりから、違和感を覚えるようになった。
 新ビルにできたゲームショップは、従来のものより広かった。しかし、客の熱気などはなくなり、エロ同人誌コーナーばかり充実していた。雑誌のほうでも、記事の文章力はそのまま、内容までおざなりになった。特にVF3にハマってからは、その攻略記事の内容のなさにうんざりしたものだった。
 肝心のゲーム情報が使えなければ読む意味はなくなる。じきに購読はやめた。その後、アーケードゲームそのものへの関心がうすれたため、ゲーメスト・新声社への興味すらなくなった。そして久々に得た情報が「倒産」だったわけである。
 倒産した事自体については事情が分からないので何とも言えない。しかし、「新声社倒産・ゲーメスト廃刊(雑誌は別会社が引き継ぐらしいが)」が、対戦格闘ゲームブームの終焉の象徴となってしまったのは確かであろう。
 かつて対戦格闘ゲームに時間・金銭を大量投入し、「将棋や麻雀のように、娯楽の一分野として長く存在しつづけるのでは」と期待までしていた身としては、たいへん寂しい事である。
 



真の敗因

1999/06/16

  「子供がサターンよりプレステを好む場面を見ていじけるセガの役員」という自虐CMが流れたのは今から一年くらい前だっただろうか? 最初に見た当時は意味がわからず、不思議に思っていた。
 その後もこのシリーズは何度も作られた。サターンとプレステが出た頃はサターン派だった筆者としては、それまでの豪快な「せがた三四郎」シリーズから一転しての自虐路線

に、違和感と歯がゆさを感じていた。
 それからしばらくして、ドリームキャストが発表された。そしてそれに自信を持つセガの役員のCMが放映された。つまりは一連の自虐CMは伏線だったという事が判明したが、筆者の違和感は相変わらずだった。
 確かに、ハードウェアのスペックはプレステより数段上だ。しかし、それで勝てるなら、先発のニンテンドウ64がプレステに勝っているはずだ。
 しかもドリームキャストの最初の作品群の中心に据えられていたのは「バーチャファイター3tb」だった。確かにあの質の高い作品を完全に近い形で移植することは素晴らしい事だ。しかし、もともとサターンでの移植を発表しておきながら機種を変更したあたりは、ドリームキャストの販促戦略、という意志が露骨すぎる。あと、いくら何でも基本となった「バーチャファイター3」が出てから2年以上たっての移植、というのは、あまりにも時間が経っていた。
 筆者は96年秋の発売当初からしばらく、バーチャ3漬けみたいな生活をしていた。しかしそれでも以上のような理由でドリームキャストにはあまり興味を持てなかった。
 筆者のような考えの持ち主は少数派ではなかったようで、CMでセガの役員が喜ぶほどにはドリームキャストは売れなかった。それも一因となって、業績が不振になったセガはリストラを開始し、相当非人道的なやり方で退職を強要した、などという報道がされるほどにまでなった。

 結果論になるが、自虐路線から始まった一連の路線は、「子供たちが自社の機械を選ばなかった真の理由に気づかず、見当違いの事をしてうかれている経営陣」というセガの敗因を、如実に物語ってしまった、と言えよう。
 



  かつて大ヒットし、現在でも先細りながらシリーズ化されている「サムライスピリッツ」と続編第一弾「真サムライスピリッツ」が収録されたプレステソフトを買った。
 値下がりを待ったため、発売から約1ヶ月後に二千円で買った。4年半前にネオジオで買った時はハードとあわせて五万円で買ったゲームである(ちなみに「真」もネオジオカセットで買った)。
 それでも当時は、ゲーセンそのままの性能が家庭で再現できるネオジオの質に感激したものだった。当時は相当サムスピ(ナコルル)にハマっていたせいもあり、はっきり「これで五万なら安い」と思ったものだった。もちろん、同じ物を二千円で買えるようになった現在から当時を振り返ってもこの思いに変わりはない。

 久しぶりにやりなおしたサムスピは、相変わらずよく出来たゲームだった。もちろん、「画像のクオリティ」とか「ゲームシステム」とかは今のものに遠く及ばないのだろう。しかし、キャラクターとその背景の世界の設定、さりげなくプレイヤーを楽しませる演出などは、いまだに新鮮味が強かった。