夕凪の街 桜の国

 「夕凪の街」は広島で被曝してから10年後に原爆症が突如発生して亡くなった女性・皆実の話を描いている。また、「桜の国」はその女性の弟・旭の家族の話を、旭の娘・七波を中心に描いた話となっている。

 「夕凪の街」の前半は、10年経っても被曝の跡地が様々な所に残る広島の風景描写および、皆実の心理描写が交互に描かれている。
 皆実は8月6日に父と妹が即死し、また年の近い姉も、それから2ヶ月後に原爆症で失った。また、茨城の親戚の家に疎開していた弟の旭は、広島に帰ることを嫌がり、親戚の養子になった。そのため、被曝から10年、皆実は母のフジミと二人で暮らしている。

 冒頭は、何ら変哲のない会社ぐらしと淡い恋愛描写で綴られている。「広島らしさ」といえば、街角の張り紙と、カープの話題がところどころに出てくるくらいだ。
 しかし、恋愛描写の中で、打越という男性が皆実に行為を示すため、「ええ嫁さんになるな」と言うと、唐突に皆実がキレ、打越に石を投げつけて追い返すのだ。
 続いて、銭湯の描写に鳴る。皆実は自分の手にある火傷の跡を見ている、他の客も皆、大なり小なり跡がある。それを見ながら、皆実は、誰もが10年前の話をしない事を不可解に思う。
 その後も、石を投げられた事も忘れ、相変わらずアタックしてくる打越といい雰囲気になるが、いざとなると、皆実の頭には10年前の事がよみがえり、逃げるように走り去る。
 そして、「しあわせだと思うたび、美しいと思うたび、すべてを失った日に戻される。おまえの住む世界はここでないと誰かの声がする」という、彼女の独白が入る。

 しかし、その翌日、意を決して、打越の告白を受け入れた。ところが、その翌日に、皆実は原爆症に蝕まれてしまい、あっという間に寝たきりになってしまう。
 そこからは、急激に死に向かう皆実の状況が、彼女の視点で描かれる。そのうち、目も見えなくなり、画面は真っ白になる。そして「十年経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やった!また一人殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」と心の中でつぶやく。
 その時、養子に行っていた弟の旭が戻ってきたが、その声も聞こえない。「ああ、風・・・夕凪が終わったんかねえ」という、皆実の最期につぶやきで、話は終わる。

 一方、「桜の国」は、前後編にわかれている。前編は、1987年の東京都中野区が舞台だ。
 皆実の弟の旭が、母親・フジミとともに中野区に住み、二人の子どもと暮らしている。姉で小学四年生の七波が主人公だ。七波たちに母親はいないが、それについては触れられていない。
 特に広島に関する描写はない。ただ、七波の祖母で、皆実の母でもあるフジミが、病気に対して過剰に反応する事が、ちょっと特別なくらいだ。
 そして、幼馴染の東子とともに、病弱な弟・瓜生を見舞いに行く、という逸話を中心に終始、ほのぼのした話となっている。
 ただ、最後には、文字のみで、祖母・フジミの死を伝えている。

 後編はそれから17年後となっている。七波は会社勤めをしているのだが、最近、父親の旭の出費が増え、時々いなくなるのが気になっている。
 そして、ひょんな事から、前編で仲が良かった幼馴染・東子と再会し、ともに旭を尾行(?)して広島に行く。
 その過程で、前編の最期で他界したフジミが、最期に意識が混濁し、七波を8月6日に死んだ娘の友達と勘違いし、その時の心境を話した事が描かれる。
 そして後をつけた結果、父親の旭が、家族の墓参りをし、「夕凪の街」の皆実の知り合いに、姉の思い出話を聞いていた事が分かる。
 続いて、旭の回想となり、七波の母である京花との出会い、結婚、その際にフジミに「…あんた被爆者と結婚する気ね?」と尋ねられた事などが描かれる。
 一方、七波の回想として、その京花が、ある日突然、血を吐いて死んだ、という過去が描かれる。
 「夕凪の街」と違い、リアルな「8月6日」は一切描かれていない。それは、その光景を、七波はもちろん、旭も直接見ていないからだろう。
 そのかわりに、当時及び現在の広島、さらには七波の生まれ故郷である、中野区の哲学堂周辺のうららかな景色が描かれている。
 その風景は非常に和やかだ。それゆえ、話の中で描かれる、68年前の8月6日の被害者、さらにはそれから時を経て原爆症で世を去った、皆実や京花たちの理不尽な死の理不尽さが際立つ。
 ほのぼのとした絵柄と、そので描かれている題材の凄惨さが対照的だ。逆に、それゆえに話の主題が引き立った作品だと思う。