宇宙戦艦金剛・自主規制の星(ながいけん 閣下)

2002/06/08

掲載・昭和が終わる前の年のファンロード9月号
 ストーリーは、「地球人が降り立ったある星は、放映禁止の形態をした宇宙人が住み、星名・国名・人名・料理名もすべて地球で言うところの放送禁止用語。その宇宙人に国家間の戦争への介入を依頼された地球人は、その星に惑星爆弾を撃ち込み、航海日誌に『今日は何もありませんでした』と書いて去っていく」というもの。
 これだけを読むと、単に放送禁止用語を連発して笑いを取る下ネタ漫画のようだ。実際、そういう表面的な面白さだけでも十分インパクトが強く、メジャー青年誌で長期連載をしている人が、この作品の表面的な部分だけをパクッた漫画を数ヵ月後に発表していた。

 ただ、この作品はただ単に下ネタが面白い、というだけの作品ではない。随所に独特の特殊なセンスがちりばめられているのだ。まず、最初のコマに出てくる年代設定。「昭和六万年八月十五日」と、当時各メディアが取り扱いに悩んでいた「昭和」で表示されているのだ。多くの未来物SF小説では、「人類が宇宙に進出して、西暦が廃止され、宇宙暦が使われるようになった」という設定を使う。それに対してこの作品では、余命が1年あるかないかの「昭和」で年代を表現しているのだ。
 また、オチの部分の「星を破壊する」だが、そこに至るまでのやり取りがまた面白い。現地の宇宙人が「隣国の○○○帝国を攻めて欲しい」という依頼をする。この言葉はシャレにならないような放送禁止的内容なのだが、それに対し、汗をかきながらも平然と(?)「○○○は必ず攻め落とす」と館長は返答する。そして、帰艦後、これまた平然と「惑星爆弾発射用意、目標○○○帝国」と言うのだ。確かに、これは星人との約束を違えてはいない。このあたりのセリフまわしの上手さも心に残る。
 この話、自分も同じ地球人として読んでいるので、オチも自然に読み通してしまうが、よく考えてみると、破壊された星の人間にとってはたまったものではない話だ。なぜ惑星爆弾を撃ち込まれたか、彼らとしては永久に理解不能だろう(まあ、考える時間すら存在しなかっただろうが)。異文化の接触がいかに難しいか、という事をギャグマンガの形で表現した作品でもある、と筆者は思っている。