北斗の拳

掲載・1984年から88年の週刊少年ジャンプ

2007/4/22

 パチスロによる再ブームにより、未だに「ヒット商品」であり続ける驚異的な作品。連載開始当初、その衝撃的な描写による影響力は衝撃的なものがあった。
 舞台設定は「全面核戦争後により、これまでの社会秩序が全て消え去った、暴力が全ての世界」である。この異様な設定を第1話冒頭で、非常に明確な表現で、説明していた。
 それは、「盗賊に襲われた家族が惨殺され、持っていた物を奪われる。その中、ケースに入った札束を見た一人が言い捨てた、『こーんな物まで持っていやがった。今じゃケツをふく紙にもならないっていうのによー!』である。「力が全て」という世界観を、一言で簡潔に表している。
 その異様な世界に出現した、主人公のケンシロウだが、これまた鮮烈な登場だった。掲載誌の少年ジャンプ言えば「友情・努力・勝利」だが、彼には「友情」も「努力」もなかった。あるのは、絶対的な力「北斗神拳」のみ。彼に経絡秘孔を突かれた悪人は、体の内部から爆発を起こし、ホラー映画のような死に方をするのだ。
 そして、彼の口から出る言葉は、既存に「ヒーロー」とは似てもにつかない物があった。決め台詞の「お前は既に死んでいる」が有名だが、それよりむしろ、敵を人と思わないその会話のほうが印象に残った。そして、その凄さは三番目くらいの敵である「クラブ」相手に発揮された。この敵は、普段から「鍛錬」と称して、捕らえた弱者に「俺に触ることが出来たら解放してやる」などと言って練習台にする。そして、いざ触ったら「よくも俺に触ったな」などと言って殺すのだ。その敵に対し、ケンシロウは力の差を見せつけた後、彼の首領であるKINGの居場所を教えれば助ける、と言う。ところが、いざクラブが居場所を言うと、「お前は今まで約束を守った事があるのか?」などと言ってあっさり殺すのだ。
 もちろん、弱者には優しい微笑みを見せるなどという一面も持っている。しかしながら、この絶対的な力を背景に、悪役と全く同じ物言い・価値観を対処する、というのはあまりにも斬新であった。
 別にこのケンシロウの言動に共感したわけではなかった。しかし、この型破りの設定ならびに人格、さらにはあまりにも絶対的な強さに惹かれ、この作品は筆者にとって、初めて単行本を買ったジャンプコミックスになった。
 この、強烈な主人公像と世界設定に加え、もう一つブームを巻き起こしたのは、技を受けた悪人がいまわの際に放つ「新悲鳴」だった。特に有名なのは「あべし!」と「ひでぶ!」だろうか。この奇妙で不可解な言葉が、また一つの流行語のようになった。個人的に一番記憶に残っているのは、ラオウとの最初の戦いを終えた直後に出てきた「狗法眼ガルフ」という男だった。この男、秘孔を突かれたわけでなく、ただ殴るか蹴るかされただけで「ぶっべきっぼ」「ぶっぱあぱあ」などと叫ぶのだ。その作者の言語感覚は、北斗神拳同様の衝撃があった。

 というわけで、当初は掲載誌の編集方針をも無視した設定で莫大な人気を得た作品だったが、さすがにそれを貫き通す事はできなかった。やがて、南斗水鳥拳の使い手の「レイ」が登場し、「友情」の要素が加わる。さらに、主人公以上の力を持つ強敵・ラオウの登場により、「努力」的な要素も加わってしまった。
 また、話が進むにつれ、展開が雑を通り越して行き当たりばったりの域に達するようになった。第2部に当たる部分は、当初「三人の北斗神拳使いの兄を倒す」という展開だった。ところが、「かつて優しかったが、極悪人に変貌していたトキ」は、その立派だった頃の回想を描いているうちに、原作者がトキを気に入ってしまったのか、いきなり「トキに恨みを持つ『アミバ』という男の変装」という事になってしまった。はっきり言って設定に無理がありすぎるのだが、そのとんでもない設定変更と独特の言動により、アミバに人気が出る、という副産物が発生したりもしたのだが。
 さらに凄いのは、最大の敵として登場した、長兄・ラオウである。最大の敵という事もあり、彼は、連載当初のケンシロウが持っていた「絶対的な強さ」を引き継いだようなキャラになってしまった。その初登場は強烈で、ケンシロウと行動をともにしていた、南斗水鳥拳の伝承者であるレイを、指一本で倒してしまったほどだった。
 そのような強さを描いている内に、またもや原作者に思い入れが生じてくる。何かの取材に応じた漫画家の原哲夫氏は、「原作原稿に『ラオウをバーンと描け、と書いてある』と述懐していた。
 というわけで、原作者に愛され、様々な過去設定も増え、最終的には第二の主人公という人気と立場を得た。今でも、いろいろ商品化されている中、だいたい、宣伝などを見ると、ケンシロウとラオウが並んで描かれている事が多い。
 ただ、個人的にはラオウの初期設定にあった「拳法家を捕らえて奥義を教えさせた後、本人と妻子を別々の牢獄に一生幽閉する」という逸話が忘れられず、あまり彼に感情移入することはできなかった。そしてラオウの人格が向上するのと反比例して、筆者の作品自体に対する思い入れも弱くなった。
 その後、自殺したと思われた主人公の許嫁・ユリアが、「実は南斗聖拳最後の将だった」などというわけの分からない設定で復活するなど、より行き当たりばったりが目立つようになった。
 そして、「当初の構想分が終わっても、人気があれば話を続けさせられる」というジャンプ人気漫画の宿命もあり、ラオウとの決戦が終わったと思ったら、さらなる敵が出現。その後は、なんだかよく分からないが出てくる敵と戦う、という展開が惰性で続く話になってしまった。そのままだんだんと人気が下がって終わったのだが、筆者はジャンプを読み続けていたにも関わらず、最後の戦いがどんな筋立てだったか、まったくもって覚えていない。本当かどうか知らないが、原作者もどこかで「ラオウとの決着後についてはよく覚えていない」と発言したそうだ。

 さて、この作品でもう一つ忘れられないのは、読者のみならず、漫画界全体への影響である。「新悲鳴」は当時、ジャンプの内外を問わず、さまざまな漫画で見受けられた。また、「暴力が全てを支配する世界」というのもこれまた様々な亜流を生み出した。
 特に凄かったのは、同時期に連載されていた「ブラックエンジェルズ」という漫画だった。元々、現代社会を舞台にしていた作品だったが、いきなり大地震が発生し、それまでのキャラのほとんどが死亡し、北斗の拳のような世界設定のもと、敵キャラが新悲鳴を上げて死んでいく超能力戦争漫画に大変貌してしまった。
 当時、ジャンプには「キン肉マン」「キャプテン翼」「Dr.スランプ」など様々な大ヒット作があったが、ここまで他の漫画家に影響をおよぼした作品はなかった。そういう意味で、作品そのものの人気とのみならず、影響力においても歴史に残る作品と言えるかもしれない。