怪獣使いと青年(大槻ケンヂ氏)

2002/02/16

掲載・イーストプレス刊「大槻ケンヂの読み倒れ」より
 独特の感覚で音楽のみならず、小説・随筆でも活躍している大槻氏の学生時代の思い出話。バンドをやっていた級友について書いてある。

 その級友は一見おとなしそうだった。しかし、「彼」の「ライブ」は想像を絶するものだった。「演奏者」は「彼」と全裸の中年オヤジである。ある時は「彼」が電気掃除機でオヤジの股間を吸い、対してオヤジが歓喜の叫び声をあげる。またある時は、「彼」が「ご真影」に生卵をぶつけまくり、その周りをオヤジが三輪車に乗って走り回る。
 あまりの異常さに大槻氏は衝撃を受けるが、さらに驚いたのはしばらくたってから「新たな演奏のテープ」を聴かされた時だった。なんと、これまでの「ライブ」とは180度違い、普通のバンドメンバーで有名バンドのコピーを普通にやっているのだ。そのギャップに驚く大槻氏。しかし、「彼」はむしろ大槻氏が驚いた事を不思議に思った。「彼」にとって「自分にとって一番気持ちのいい事」が、あるときは全裸中年オヤジとのパフォーマンスであり、またある時は有名バンドのコピーなのである。「彼」にとっては、いつでもやりたい事を普通にやっているに過ぎなかったからだ。


 この一文を読んだとき、最初は「全裸中年オヤジとのパフォーマンス」の異常性に驚き、笑った。しかし最後まで読んだ時はには、ここに出てくる「彼」の感覚に共感を覚えた。
 この「つれづれの館」も、ホモ漫画のレビューから自民党政治の論評までそれこそ「その時自分が書きたい事を好きなように書いている」サイトである。
 そういう意味では、ここに出てくる「彼」はある意味、「つれづれ」の基本概念を具現化した存在なのかもしれない。というわけで、この作品と「彼」が心に強く残った。同時にそれ以来、「つれづれ」で扱うネタの範囲や表現方法が少し広がった。
 余談だが、この題名は「帰ってきたウルトラマン」で名作の評判が高い作品から取られている。人類と共存する意思があり、怪獣を封印していた宇宙人を、異形であるという理由で殺してしまう、というような作品だったと記憶している。しかし、この随筆にその題名をつけたのは、はただ単に、全裸の中年オヤジとライブをやるあたりを「怪獣使い」と表現しただけのようで、特に「帰ってきたウルトラマン」とは関係はない。


「心に残った文章」

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