大阪府と和歌山県を結ぶ私鉄・南海電鉄には、二つの幹線がある。一つは、和歌山市へ向かう南海本線、もう一つは高野山に向かう高野線(別名・りんかんサンライン)である。
この2路線、もともとは別の鉄道会社が建設していた。したがって、それぞれ別に大阪市内に起点駅を作った。そして、高野線を建設した高野鉄道が大阪市内の起点駅にしたのが、汐見橋駅だった。開業当時の駅名は「道頓堀」だった事からも分かるように、南海の起点駅である難波駅からもさほど離れてはいなかった。
しかし、二つの路線は南海電鉄に統合された。当然ながら、一つの鉄道である以上、二つの起点駅は必要がない。そこで、ともに難波駅を利用するようになり、汐見橋駅の重要度は大幅に下がった。
一応、現在でも登録上では「南海高野線」ではある。しかし、完全に分断され、構造的にも直通列車が走る事はできなくなってしまっている。そして、接続駅の岸里玉出から汐見橋の間は、「汐見橋線」という通称が定着した完全なローカル線となり、現在に至っている。
その汐見橋駅に、ある平日の朝10時に行ってきた。最寄駅は地下鉄千日前線の桜川駅で、難波駅とは一つしか離れていない。駅を出ると、「千日前通」という大きな通りがあり、牛丼屋なども並んでいる。この「千日前通」では地下鉄工事が行われていた。看板を見たら、近鉄と阪神を結ぶ路線との事だった。
数分ほど歩くと、大きな交差点があり、その角に南海汐見橋駅があった。駅自体は、かつての起点という事もあり、そこそこの面積がある。しかし、駅に入って見ると、改札の上には、何十年前に作られたような観光地図らしきものが、辛うじて起点駅の名残を示しているような感じだった。売店と思しきものはシャッターが降りている。自動券売機と自動改札機がなければ、廃駅と言ってもおかしくない風情だ。時刻表を見たところ、始発から終電まで、夜9時代を除き、全て1時間に2本。難波のすぐ近くにも関わらず、通勤時間帯も早朝も同じダイヤで運行しているわけだ。ちなみに夜9時代だけは1時間に1本だった。
次の発車まで10分ほどあるので、ちょっと駅の周りを歩いてみた。大通りに沿って駅があるのだが、駅と大通りの間の歩道は、水色のビニールで覆われた「家」が立ち並んでいた。意外にペットを飼っている「世帯」も多く、中には犬を放し飼いにしている所もあった。一瞬、驚いたが、その犬は筆者をひとしきり観察したものの、吠えもしなかった。
駅に戻ると、丁度電車が到着したところだった。改札から出てきたのは2〜3人だった。一方、ホームで待っているのは2人だけだった。
電車は2両編成のワンマン運転。この乗降客とダイヤを考えると、どう考えても1両で十分だと思うのだが、おそらくは、両運転台の電車に改造するよりは、こちらのほうが安上がりだからなのだろう。発車間際に1人乗って、計4人で岸里玉出行きは、定刻通り発車した。
次の芦原町駅は、大阪環状線の芦原橋駅との接続駅でもあるらしい。しかし、そのような気配はなく、駅名票はさびていた。なお、線路はかつての幹線の名残もあって、立派な複線となっている。しかし、汐見橋−岸里玉出間の所要は9分。往復して18分で30分間隔での運転だから、列車がすれちがう事などない。もしかしたら、日本で一番意味のない複線区間かも、などと思った。
その後、木津川・津守といった駅を過ぎていく。いずれも駅の壁の塗料ははげかかっており、駅名票も古びている。そこに貼られている南海関連のポスターばかりが新しく、なんか不思議な感じだった。その木津川駅で、一人の老人が乗ってきた。どこまで行くのかな、と思ったら、次の津守駅で降りていった。当然とはいえ、地元では生活路線であり、それを上手く利用している人がいるのだな、と思った。
そして、次の西天下茶屋駅を過ぎてしばらくすると、複線が単線に変わり、線路は高架にのぼった。ただ、その左脇は、工事中で、もう一本の高架線を作っているように見えた。なんでも、この「汐見橋線」には、大阪市を縦貫して新大阪まで延伸する計画があるとのことで、もしかしたらそれに備えているのだろうか。そのような事を思っていると、高架線に入った電車は急カーブで南海本線と合流し、岸里玉出駅に着いた。
着いたホームは「汐見橋線」専用で、すぐ脇には南海本線の線路があった。ホームに上がったところ、次の電車までかなりの時間がある。そしてしばらくすると、難波行きの急行が通過していった。こちらは、先頭車両だけでも、先ほどの汐見橋線の乗客の何十倍もの人が乗っていた。通勤時間帯は終わっているのに、立ち客もかなりいる。
今度は高野線のホームに移動したら、これまた急行が通過していった。やはりこちらも南海線と同じくらいの込み具合だ。その次に来た難波行きの各停に乗ったのだが、こちらもほぼ同様で、先頭車両にはかなりの立ち客がいた。
その各停に乗って、南海線と高野線が合流した複々線を難波へ向かう。こちらは、空港特急の「ラピート」をはじめ、南海線・高野線とも頻繁に下り列車とすれちがい、複々線の機能を十二分に発揮している。ほんの数キロ西を並走している「汐見橋線」の複線とは対照的だ。
そして、今宮戎という小さい駅を過ぎ、カーブを曲がると、線路が分岐し、巨大なビルと一体化した難波駅に到着した。9番線まである。改札を出る前にもいくつかの店があり、駅弁まで売られていた改札を出ると高島屋やホテルもくっついており、駅だけで一つの「街」になっている感じだ。
その巨大なターミナルぶりを見ると、汐見橋駅との差を改めて感じた。1キロ少々しか離れていない、同じ鉄道会社の駅である。しかし、かたや30階建のビルを筆頭に多くの建物と一体化した大拠点駅、一方は青シート屋根の「住宅街」が隣接するローカル駅なのだ。現在の日本の貧富の格差の拡大を象徴するような二つの駅だった。