新鎌ヶ谷

 筆者の幼いころ、伯母一家が千葉県鎌ヶ谷市の初富という所に住んでいた。年に1回くらい家族で遊びに行っていたのだが、そのルートはなぜか2種類あった。
 一つは船橋まで出てそこから東武野田線で鎌ヶ谷駅に行く方法、もう一つは松戸まで出て新京成線で初富駅に行く方法であった。さらに船橋に行くには総武線と地下鉄東西線があり、松戸に行くには上野から常磐線と地下鉄千代田線がある。当時は「鎌ヶ谷」がどこにあるのかよくわからなかったが、「いろいろな行き方があるんだなあ」と不思議に思っていた。
 その後、従兄弟も引越し、鎌ヶ谷に行く事もなくなった。久々に名前を聞いたのは、北総開発鉄道という鉄道が開通した時である。新京成線の西初富駅から分岐する、と聞いてその名前に懐かしさを覚えた。そしてその周辺の路線図を見て、妙な事に気づいた。
 東武野田線は船橋と柏を結び、新京成線は津田沼と松戸を結んでいる。そして北総開発鉄道の開通した鎌ヶ谷市のあたりにその二つの鉄道の交点がある。しかし、そこには駅がない。当然世の中には津田沼から柏に行きたい人もいれば、船橋から松戸に行きたい人もいるだろう。それなのに乗り換えができないのは不便だしもったいない。なんか不思議に思った。
 さらにそれから何年かたって、北総開発鉄道は東京方面に延長し、京成高砂を経由して都営浅草線と相互直通運転をするようになった。それにともない、新京成電鉄との直通が廃止となり、乗り換え用の駅として「新鎌ヶ谷駅」が開業した。
 その新装なった北総開発鉄道に乗りに行った。そして新鎌ヶ谷駅に到着し、下を見たとき驚いた。駅の真下に単線の線路があり、新鎌ヶ谷駅を無視するかのように電車が走っているのだ。もちろん東武野田線である。もちろん北総開発鉄道は東武との乗り換えを意識してこの場所に新鎌ヶ谷駅を作ったのだろう。しかし、東武はそれに呼応しなかったのだ。その結果、3本の鉄道の交点に設置された乗換駅なのに、うち一本はそれを無視して通り過ぎる、という奇妙な形態が生じてしまった。

 この不自然な状態はかなり長い間続いたが、ついに東武が折れて(?)1999年11月に「新鎌ヶ谷駅」を開業した。その新鎌ヶ谷駅に先日行ってみた。
 鎌ヶ谷駅を出てしばらくすると市街地から外れる。まわりは畑と草むらだけとなる。しばらくすると前方に北総開発鉄道の高架が現れ、そこをくぐったら新鎌ヶ谷駅に着いた。下車する人はそこそこ多い。階段を上がると、やけに広い改札口に出た。広いのはいいが、あるのはトイレと駅売店のみ。なにかを作る予定でもあるのだろうか。
 改札を出ると左が出口で、右が新京成線・北総開発鉄道への乗換口となっている。出口の向こうは道が一本で後は草むらである。都市整備公団のマンションの宣伝看板があったが、工事はまだ始まっていない。その向こうには道路があるようだ。ひきかえして乗換口のほうに行く。乗換口の向こうにも出口があった。通路のすぐそこに民家が一軒あったが、あとはやはり草むらと畑である。出口のところは病院行きのバス停となっていた。
 東武はともかく、新京成・北総が駅を作ってからは相当たっている。普通ならもう少し開発されていてもいいような気もするが、やはり不況のせいなのだろうか。とにかくあまりの何もなさに驚いた。
 駅の見物も一通り終えたので新京成に乗り換える。改札は新京成・北総が共用しており、北総が運営している。普通なら片方の会社が委託されて運営している場合でも、券売機はそれぞれの鉄道専用のものを設置するのだが、ここでは、券売機も共用しており、新京成の切符を買うには、「新京成」と書かれているボタンを押さねばならない。
 切符を買い、特に何も考えずに自動改札機を通る。すると通路が仕切られている。どうやら自動改札機のうち左側が新京成・右側が北総と別れているようだ。しかし、目立った表示はない。仮に筆者が北総に乗るつもりだったら間違えていただろう。構内には立ち食い蕎麦屋があったが営業はしていなかった。おそらくは通勤時間の乗換客用なのだろう。
 新京成の津田沼方面行きに乗る。しばらくすると鎌ヶ谷市街に入り、先ほど見たような景色が見えた。後で地図を確認したところ、初富駅のあたりでは、新京成と東武は100メートルも離れていなかった。初富駅のあたりは市街地だし、距離が離れていないなら乗換駅を作ればいいと思うのだが。まあ、最初からそれができるのなら、東武新鎌ヶ谷駅の開業がここまで遅くなる事はなかったか。
 こうして、懸案だった(?)新鎌ヶ谷駅探訪は終わった。帰って地図を見たところ、鎌ヶ谷市役所が比較的近くにあるなど、地理的には町外れではないようだ。この3つの鉄道が交差する駅が交通の便を生かして今後様変わりするのか、それとも海浜幕張駅前のように、広大な草むらが残り続けるのか、興味深い所である。