京成千葉線

2003/02/09

 東京都と千葉県を結ぶ私鉄である京成電鉄。この「京」は東京を、「成」は成田を意味する。この名前の通り、京成のメインルートは東京と成田を直接結ぶことにある。そのため、船橋・津田沼などから成田に行く場合、JRより15分ほど早く行ける。その代わりに、JRが通る千葉を京成の本線は通らない。
 その京成本線と県庁所在地を結ぶべく、京成津田沼から分岐して千葉へむかうのが本稿で述べる京成千葉線である。しかしこの千葉線、千葉最大の私鉄である京成が県庁所在地に乗り入れている路線とは思えない。

 京成津田沼を出るとすぐ、本線と分岐する。そしてしばらく行くとJRと合流する。複々線のJRとあわせて三複線のような感じになるのだ。そして京成幕張本郷駅に到着する。この駅は改札は違うが、JRと同じ建物に駅舎がある。1991年開業という事もあり、駅構内も新しい。この駅だけ見ていると、「JRと京成は東京−千葉間においてほぼ互角の勢力だ」などと勘違いする人もいるかもしれない。
 幕張本郷を出たあとも、相変わらず三複線のような感じで千葉へむかう。速度もそこそこ出ている。そしてそのまま幕張駅手前にある踏切を越える。この踏切もJRと共用だ(※2004年8月にこの踏切は廃止となった)。
 しかし、幹線のような風貌はこの踏切を越えると一変する。ここでJRと分かれて右に曲がり京成幕張駅に到着するのだが、この駅は小さい切符売り場とロクに屋根もかかっていない小さいホームがあるだけなのだ。すぐそこにあるJR幕張駅が折り返し設備と広いコンコースを備えているのと対照的である。
 ここから一応JRと離れた所を走る。とはいえ線路は100mから300mほど離れたところにほぼ並行して敷設されている。しかし、二つの路線の雰囲気は全然違うものになる。
 JRは複々線で、ほとんどの部分が高架となっており、踏切はない。普通・快速のほかに成田エクスプレスなどの特急も頻繁に走る。駅は両端を除けば屋根に覆われており、駅前には全てバスターミナルが存在する。
 一方京成千葉線は地上を走る。道路との交差はほとんど踏切だ。ホームと改札の間に踏切のある駅すらある。全ての列車が普通列車だ。駅も屋根に覆われていない部分が多く、ベンチもたいていは木製だ。駅前は広場どころかバス停すらない(※京成稲毛駅前には一応あるが、本数は少ない)。嫁さんと一緒に乗ったら「松山の市内電車を思い出す」と言っていた。
 不思議なもので、ほとんど同じ所を走っているはずなのに、沿線風景も相当違う。高架線と地上線の視点の差のせいでもあるのだろう。JR沿線はマンション・団地が多く見えるのに対し、京成沿線は民家が多い。その家の間を縫うように京成電車は走る。幕張までの速度がうそみたいにのんびりした速さだ。もっとも、開業時からほとんど改良されていない路盤でカーブが多いため、速度の出しようがないのだろうが。
 千葉の中心部に近づいてもその風景は続く。千葉の一つ手前の新千葉駅などは、千葉駅からの距離は1kmもないが、パスネットが導入された2000年秋まで、自動改札機はおろか自動券売機すらなかったそうだ。
 そのひなびた新千葉駅を出て踏切を一つ越えると、いきなり沿線風景が近代的になる。高層ビルと一体化している京成千葉駅に到着するのだ。もっとも、こんな近代的な駅になったのも巨大な千葉そごうができた1990年代になってからだ。1987年までは「国鉄千葉駅前」などというバス停みたいな名前で、国鉄(当時)の車内から見えるホームは高架とはいえ、やはり貧弱だった。
 そのまま千葉市の中心部を高架で通り、「千葉中央」駅に着く。確かに県庁には千葉駅より近い。しかし「千葉の中央」を名乗れるほど「中央」でもない。ちなみに、1987年まではこちらが「京成千葉」だった。
 さらに不況の影響もあり、千葉中央駅から歩いてすぐのところにあったデパートや大型パソコンショップは2001年秋から2002年春に相次いで閉店してしまい、いまだに空きビルのままである。また、かつて千葉中央からは「千葉急行電鉄」という第3セクター鉄道が市原市のニュータウンまで延びており、さらに奥まで延伸する構想だった。しかし、これまた2000年に経営破たんした。廃止するわけにもいかないので、路線は京成が引き取ったが「千葉急行電鉄」は解散した。このように、千葉中央駅は「ローカル線」の京成千葉線をしめくくるのにふさわしいような(?)物寂しさのただよう駅だ。

 筆者の住んでいる幕張本郷から千葉に行く場合、速さ・本数・運賃とすべての点においてJRのほうが上回っている。したがって我が家から千葉に出るときも普通はJRを使う。しかしときたまのんびりしたローカル線の雰囲気を味わいたくなり、「高い・遅い・なかなか来ない」の三拍子の揃った京成千葉線を使うことがある。


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