奥道後温泉

2006/2/27

 道後温泉といえば、日本でも代表的な温泉の一つだ。なんでも、聖徳太子が入浴したという記録もあるらしい。また、小説「坊ちゃん」の舞台としても有名である。
 その道後温泉から、山の中にバスで15分ほど行った所にあるのがこの奥道後温泉だ。名前は「道後温泉」だが、元祖「道後温泉」とはかなり印象が違う。
 道後温泉を象徴する風呂といえば、夏目漱石も使ったという「道後温泉本館」だ。それに対し、奥道後を象徴する風呂は「ジャングル風呂」になる(ちなみに、Googleで「ジャングル風呂」を検索すると、一番最初に出てくるのが奥道後温泉)。
 もちろん、ジャングル風呂だからといって、温泉そのものには変わらない。とはいえ、失礼ながら、「ジャングル」と聞くと、なんか安っぽい印象を持ってしまう。特に、「本家」が1894年に建った「道後温泉本館」だとなおさらだ。
 わが家では毎年、相方の帰省につきあって松山に行っている。しかしながら、道後温泉に行くことはあったが、奥道後に行くことはなかった。ところが、今年の帰省の直前に、仕事関係の行事が奥道後であった。そこで興味を持ち、行ってみることにした。

 案内図を見ると、向かいの山に登るロープウェーもあり、「1時間に1回運行」となっていた。しかし、実際は運休しているようだった。また、藤棚もあるようだが、当然ながら2月には何も咲いていない。そこで、この時期、温泉を除けば唯一の観光資源と思われる「石手川の渓谷・湧が淵」に行くことにした。
 案内表示がえらくわかりにくいのだが、何とかゲームセンターの裏手から淵へ向かう「紅の散歩道」に入ることができた。ただ、ところどころコンクリートが割れていたりして、えらく歩きにくい。特に、階段の崩れ具合はかなりひどいものだった。
 道の脇には水が張ってあり、「散歩道」を橋に見立ててある感じなのだが、ところどころでペットボトルが浮かんでいる。また、水の中には、ここを訪れた著名人の揮毫した色紙を立て札にして置いてある。中には、歴代の首相の揮毫などもあったが、いずれも手入れがされておらず、土埃にまみれている。
 下の写真は筆者の趣味である将棋の棋士のもの。なお、左が1950年代から60年代にかけて棋界に君臨した大山康晴十五世名人で、右がその兄弟子でかつ大勝負を何度も戦った升田幸三名人のもの。なお、升田名人の揮毫がきれいなのは、地面と垂直に札が建っているためであり、掃除されているからではない。なお、大山名人の札は撮る前に相方に拭いてもらったのだが、それでも落ちないくらい土埃がこびりついていた。

大山康晴十五世名人の揮毫 升田幸三名人の揮毫

 これらの札が尽きたころに、階段が分岐しており、「→湧が淵」となっていた。ちなみに、道のほうも続いているが、そこには「この先300m先立ち入り禁止」という表示がある。そちらにも興味があったが、とりあえず目的地である「湧が淵」に行くことにした。
 階段を下りると、「錦明殿跡地」という立て札があった。このホテルの創始者の坪内寿夫という人が、消失前の金閣寺を模して9万5千枚の金箔を使って建立したとのことだった。ところが、2001年6月の土砂崩れで崩落してしまい、現在は何も残っていない。。
 当時、どれくらいの金額を使って造ったか分からないが、それが一日で川に流れてしまったわけだ。ちなみに、坪内寿夫という人も、徹底的な経費節減・従業員酷使でいくつかの会社を「再建」して、実業界で名を馳せたが、晩年は寂しかったらしい。その没後2年で、「作品」である錦明殿も創設者に殉じたとでもなるのだろうか。
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錦明殿を伝える立札 錦明殿跡地
 なお、崩れたのはこの錦明殿だけでなく、そこに至るまでの道も同時に崩落した。その跡は、4年以上経った今でもそのままになっており、当時の被害を今でも伝えている。
崖崩れ跡1 崖崩れ跡2
 さらに進むと、目的地である「湧が淵」に着いた。巨大な岩がたくさんあり、その隙間を川が流れている。狭いところは30センチくらいになっている。さらに滝もあれば淵もある。短い間で、川が様々な顔を見せて面白い。
湧が淵1 湧が淵2
湧が淵3 湧が淵4

 ただ、残念な事に、この淵の一部にもペットボトルが浮いていた。せっかくの景観をなぜ無意味に汚そうとするのか、理解に苦しむ。また、「大蛇が美女に化けてうんぬん」みたいな「由来」を表す立札もあった。景勝地を売る手段としての定番だが、筆者には何でこんな事をするのか理解に苦しむ。こんなベタな話を作る暇があれば、ここの渓谷美について何らかの描写をしたほうが、よほど有意義だと思うのだが・・・。
 というわけで、人為的なものには非常に不満が残ったが、渓谷美そのものは堪能できた。
 その後、階段を登って先ほどの「300m先は通行止め」という道を歩いた。しかし、いくら歩いても通行止めを示す看板は出てこない。もしかして既に行き止まり地域に入ったのでは、と思い、慌てて引き返した。

 その後、「ジャングル風呂」に入った。単純泉の本家・道後温泉と違い、こちらは、かすかな硫黄臭がする。ジャングル風呂の演出および、「ジャングル」の各地に点在する風呂がやけに狭いこと、それぞれに意味不明の名前(例・天国風呂)がついているのは気になったが、湯自体は悪くなかった。
 というわけで、ゆっくり温泉を楽しんで、帰途についた。行きは車で送ってもらったが、帰りはバスだ。バスは1時間に1本のという運行間隔だがだが、幸運にも停留所に着くとちょうどやってきた。ところがこのバス、次の「湯之元」というバス停を過ぎたら、道を外れて山に登り、「湯の山ニュータウン」という所を一周して再び山を下り、元の「湯之元」に戻ってきた。したがって、もしバスの表示に「湯の山ニュータウン経由」という記載があった場合は、「奥道後温泉」バス停を利用せず、湯之元で乗降して歩くべきだろう。
 まあ、このような運用がなされているのも、利用者のほとんどが乗用車を使うからなのだろう。実際、我々が乗ったバスにも、我々の他には老夫婦が一組いただけだった。