道後温泉といえば、日本でも代表的な温泉の一つだ。なんでも、聖徳太子が入浴したという記録もあるらしい。また、小説「坊ちゃん」の舞台としても有名である。
その道後温泉から、山の中にバスで15分ほど行った所にあるのがこの奥道後温泉だ。名前は「道後温泉」だが、元祖「道後温泉」とはかなり印象が違う。
道後温泉を象徴する風呂といえば、夏目漱石も使ったという「道後温泉本館」だ。それに対し、奥道後を象徴する風呂は「ジャングル風呂」だ(ちなみに、Googleで「ジャングル風呂」を検索すると、一番最初に出てくるのが奥道後温泉だ)。
もちろん、ジャングル風呂だからといって、温泉そのものには変わらない。とはいえ、失礼ながら、「ジャングル」と聞くと、なんか安っぽい印象を持ってしまう。特に、「本家」が1894年に建った「道後温泉本館」だとなおさらだ。
というわけで、これまで毎年、嫁さんの帰省につきあって松山に行っていたが、道後温泉に行くことはあったが、奥道後に行くことはなかった。ところが、今年の帰省の直前に、仕事関係の行事が奥道後であったため、興味を持ち、行ってみることにした。
案内図を見ると、には向かいの山に登るロープウェーもあり、「1時間に1回運行」となっていたが、実際は運休しているようだった。また、藤棚もあるようだが、当然ながら2月には何も咲いていない。そこで、この時期、温泉を除けば唯一の観光資源と思われる「石手川の渓谷・湧が淵」に行くことにした。(奥道後温泉案内図)
案内表示がえらくわかりにくいのだが、何とかゲームセンターの裏手から淵へ向かう「紅の散歩道」に入ることができた。ただ、ところどころコンクリートが割れていたりして、えらく歩きにくい。特に、階段の崩れ具合はかなりひどいものだった。
道の脇には水が張ってあり、「散歩道」を橋に見立ててある感じなのだが、ところどころでペットボトルが浮かんでいる。また、水の中には、ここを訪れた著名人の揮毫した色紙を立て札にして置いてある。中には、歴代の首相の揮毫などもあったが、いずれも手入れがされておらず、土埃にまみれている。
下の写真は筆者の趣味である将棋の棋士のもの。なお、左が1950年代から60年代にかけて棋界に君臨した大山康晴十五世名人で、右がその兄弟子でかつ大勝負を何度も戦った升田幸三名人のもの。なお、升田名人の揮毫がきれいなのは、地面と垂直に札が建っているためであり、掃除されているからではない。なお、大山名人の札は撮る前に嫁さんに拭いてもらったのだが、それでも落ちないくらい土埃がこびりついていた。
これらの札が尽きたころに、階段が分岐しており、「→湧が淵」となっていた。ちなみに、道のほうも続いているが、そこには「この先300m先立ち入り禁止」という表示がある。そちらにも興味があったが、とりあえず目的地である「湧が淵」に行くことにした。
階段を下りると、「錦明殿跡地」という立て札があった。このホテルの創始者の坪内寿夫という人が、消失前の金閣寺を模して9万5千枚の金箔を使って建立したとのこと。ところが、2001年6月の土砂崩れで崩落してしまったとのこと。
当時、いくらかけて造ったか分からないが、それが一日で川に流れてしまったわけだ。ちなみに、坪内寿夫という人も、徹底的な経費節減・従業員酷使でいくつかの会社を「再建」して、実業界で名を馳せたが、晩年は寂しかったらしい。その没後2年で、「作品」である錦明殿も創設者に殉じたとでもなるのだろうか。