本州を初めて出た時
 大学に入って最初の夏休みに、「1.せっかくの大学最初の夏休みだから長期旅行をしたい。2.しかしまだバイトを始めて間もなく資金がない。3.でも高校時代の旅行とは違う何かをしたい。」というテーマで旅行をしようと思った。
 高校時代にも鈍行列車を乗り継いでいろいろな所に行った。しかしながら本州を出る事はなかった。そこで上のテーマにあわせるのと、開通したてだった本四架橋に乗ってみたい、という事から、「鈍行列車を乗り継いで門司まで行き、その後四国に足を伸ばす」という旅行計画を立てた。
 切符は当然「青春18きっぷ」である。そしてこれも定番中の定番である「大垣夜行(現・ムーンライトながら)」で旅行は始まった。
 車内ではまんじりとせずに過ごす。そして浜松の長期停車の時には改札を出て無人の駅前を散歩する。これもパターンである。おそらくはこれからの旅行の楽しみに心が躍って寝付けないのだろう。この列車には通算で10数回乗ったが、ついに車内で熟睡できた事はなく、このパターンを繰り返していた。
 そして大垣から普通列車、米原から新快速と乗り継いで姫路へ。以下普通列車を乗り継いでひたすら山陽路を西へ向かう。日も高くなり、前夜の不眠がこたえ、このあたりはほとんどうたたねしている。頭がはっきりするのは昼過ぎくらいからか。そして乗りかえにちょっと時間があく時に駅の立ち食いうどんで昼食をすませる。
 広島を過ぎるあたりで、ちょっと胸がたかぶる。高校時代に宮島の対岸にある大野浦という駅まで行った事があり、そこがこれまで自分の行った最西端だからだ。そこをすぎると、何か未知の世界に突入したような気がした。もっとも車内風景は普通の午後の電車なのだが。
 以下も午後から夕方へとなっていくなか、ひたすら山陽路を西にむかう。そしてついに下関に到着した。いよいよ念願の初めて本州を出る時が来た。
 といってもすでに日は暮れている。暗い中下関を出てすぐ関門トンネルに入る。数分で出て左から線路が合流したと思ったら門司駅に着いていた。
 改札を出る。「初めて九州の地を踏んだのだな」とちょっと感慨にふけったが、駅前自体は特に変わった事はない。もう夕食時だったので、ちょうど目の前にあった定食屋に入る。メニューを見ると見知った名前の中、一つ「やきめし」という初めて見る名前があった。
 「ご飯を焼くのか・・・焼きおにぎりみたいなものなのか?それとも知られざる名物品なのか?」などと思いながら注文する。しかし数分後に出てきたのは、いわゆる「チャーハン」だった。

 チャーハンを食べた後、再び関門トンネルを通って下関に戻る。あとは寝るだけなのだが、実は最初からこの日は野宿するつもりでいた。といっても寝袋などを用意してきたわけではない。今振り返ってみて自分でも呆れるほどの行き当たりばったりぶりである。結局、深夜喫茶などで時間をつぶし、またまたほとんど寝ずに一夜を過ごした。
 夜が明けて今度は岡山に向かう。今度は中国地方のローカル線を乗りながらの行程である。しかしやはり前日徹夜だったので、乗ってはいるのだが、頭は朦朧としている。確か朝一番の山陰本線で長門市に行き、そこから仙崎に寄ってから美祢線と今はなき大嶺支線に乗って山陽に戻る。そこからも宇部線・岩徳線・呉線などの山陽本線の支線に乗りながら岡山まで戻った。
 今度は四国に向かう。といっても開通したての本四架橋は使わず、宇野まで出る。ちょっと前までは特急も通った茶屋町−宇野間は荷物電車を改造した単行の電車だった。宇野から、廃止された宇高航路の代行線みたいな形でJRが運営していた高速船で高松に向かう。こちらも夜だったのでほとんど外は見えなかった。
 高松に着いて、とりあえず琴電に乗ったりしてみた。しかしそこからの予定は何もない。前日はまだ「下関で野宿」が予定ではあったのだが、この日はそれすらない。一応、青春18きっぷで乗れる夜行の松山行きがあったのでそれに乗るか、前日同様高松で夜を明かすかどちらかにしようと思っていた。
 とりあえず駅の待合室で時間をつぶす。すると小柄なおっさんが「自分はお茶の先生で茶器の売買などもやっている。今日は仕事でこれから松山行きの夜行で新居浜の家に帰る。よかったら泊まっていかないか」と声をかけてきた。一瞬「ホモだったらどうしよう」という不安も頭をよぎったが、さほど怪しくもなかったので結局同意し、松山行きの夜行に乗る。途中、丸亀駅から見える城についての説明もしてもらった。
 新居浜で降りて車でちょっと登った所に家があった。ついてすぐ寝て、起きたらご飯をいただき、また車で駅まで送ってもらった。明るくなって見た家は確かにお茶の先生のような装飾(?)があった。見ず知らずの人の家に泊まるというのも当然ながら初めての事であった。(ちなみにそれから約10年後に筆者は愛媛出身の嫁さんをもらった。今にして思えば当時から愛媛県とは何か縁があったのかもしれない)
 そしてそのまま予讃線を戻り、本四架橋を渡った。天気もよく、橋桁で視界は遮られたが、それでも隙間から見える海はきれいだった。以下岡山に戻り、津山線・姫新線・加古川線などを乗り継ぎながら大阪に行き、さらに福井まで足を伸ばして東京に戻った。

 こうして大学に入っての初めての旅行は終わった。在学中は何度か旅行をしたがいずれも周遊券を買ってのもので、バイトで資金も貯めていたため、野宿なども一切なかった。そういう意味でこれは筆者にとって人生最後の「貧乏旅行(?)」だった。
 冷静に振り返ってみると、夜に無理をして肝心の昼の列車の中で寝るようでは、一体何をやっているのか解らない。しかしそういう事も含め、ありあまる時間と少ない資金で好き放題をできた時代のいい思い出と言える。