朱鞠内湖とホロカ温泉(1989年2月)

 89年、19歳(大学1年)の時の筆者の初めての北海道旅行の思い出です。
 
1・初めての北海道

 大学1年の冬に念願の北海道旅行に行った。まだたいしてバイトとかもしていなかったため、金はなく、主な宿泊場所は夜行列車の座席だった。
 まず北海道へ渡るのだが、平凡に青函トンネルで行くのも面白くないと思った。そこでまず夜行急行「八甲田」で青森県の野辺地という所で降り、そこからローカル線とバスを乗り継いで下北半島最北端の大間という所に行き、そこからフェリーで函館に渡った。
 フェリーに乗るまでは青森の奥なので、まわりの人は津軽弁で話す。青森どころか北東北に行く事すら初めての筆者には外国語のように聞こえる。それが函館に渡ったとたんにいきなり日常で使う「東京弁」に近い言葉が耳に入ってきた。
 なんか丸1日もたっていないのに、いきなり東京に戻ったような錯覚をおぼえた。予備知識として、筆者はある程度はその北海道で使われている言葉が東京弁に近い事は知っていた。にもかかわらず、半日の間、津軽弁を聞いてきた耳にはちょっとした驚きだったようだ。そしてそのままこの事は筆者の北海道に対する「第一印象」となった。

 その後、函館ではイカソーメンを食べただけで即座に札幌へ向かう。今考えると、やけに筋の悪い動き方だが、おそらく、とりあえず北海道の列車に乗りたい、という気持ちで一杯だったのだろう。
 札幌に着いてとりあえず夕食を食べる。地下街の定食屋に入ったら「鮭親子丼」というメニューがあった。イクラと鮭を乗せた丼である。「さすが北海道、感覚が違う(?)」と驚いてさっそく注文。鮭とイクラを一緒に食べる、というのがこれほど美味しいとは知らなかった。
 

 
2・朱鞠内湖

 この時の旅行で北海道の鉄道で行ける所の8割くらいをまわったが、そのうち今でも印象に残った所をいくつか紹介してみる。
 深川から深名線というローカル線(深川と名寄を結んでいた・現在は廃止)に乗る。しばらく奥に進んだらものすごい積雪だった。なにせ、踏み切りがほとんど埋まって、辛うじて表示灯の部分が雪面に出ている、というすごさなのである。
 すでに北海道入りして何日もたち、積雪にも慣れたつもりでいたが、この降り具合には改めて驚かされた。そのまま雪原を進んでいくと、終着駅である朱鞠内駅についた。深名線の中心駅なのだが、別に何かあるわけでもない。単なるローカル駅である。
 名寄方面の列車が出るまでしばらくあったので、朱鞠内湖に行くことにした。まわりに何もないこともあり、湖までの道はすぐにわかった。道なりに進み、坂を登ると、朱鞠内湖が見えた。といってももちろん、湖面は凍結し、雪も積もっている。全体的に窪んでいる部分が湖だ、という事はわかる。
 湖面を見ると、タイヤの跡が幾筋か見える。そこで自分も湖面に降り立つことにした。雪を足で掘ってみると固い氷が見えた。もちろん、爪先でつついても岩をつつくのと同じ手応えである。しばらく氷の上を歩いたが、さすがに中のほうまでいくのは恐かったので適当な所で退散することにした。
 もときた道をひきかえす。深名線の線路とぶつかる所に「湖畔」という駅があった。「駅」といっても一両分の短いホームと三畳間くらいの「待合室」しかない。バス停に毛が生えたような駅だが、「待合室」の中には落書きでいっぱいだった。おそらくは筆者と同じように朱鞠内湖を見物した人たちによるものなのだろう。
 次の列車まではまだ時間があったので、朱鞠内駅まで歩いて戻った。一服してから名寄行きに乗る。数分で先ほどの湖畔駅に。乗降客がいないため、通過していった。その先のいくつかの駅も通過。もう人がいないため、冬は営業していないのだ。したがって除雪もされていないので、駅は雪に埋もれていた。そのまま、あまり乗降はなく、名寄に着いた。
  なお、この深名線は、代替輸送の道路も整備されていないのにもかかわらず、90年台半ばに廃線となった。

 
3・トドワラ

 釧路と網走を結ぶ「釧網本線」の標茶(しべちゃ)という駅から東のほうへ向かう、標津線(しべつせん)というローカル線が出ていた。その線に乗って終点の根室標津までいく。北海道の東のはずれの町だ。
 そこから「トドワラ」行きのバスに乗る。「トドワラ」とは変な名前だが、別にアイヌ語ではない。かつてトドマツの林だった所が、潮風にさらされて滅亡してしまい、立ち枯れたトドマツの幹が立ち並ぶ、という異様な所である。
 バスは観光専用で、乗っているのは若い人ばかりである。しばらく走ると、尾岱沼(おだいとう)が見えてきた。沼ではなく海の一部なのだが、すっかり凍り付いている。そして右手に尾岱沼、左手にオホーツク海という、海の中の狭い道をバスは進んで行った。終点が近くなると国後島が見えてきた。筆者が肉眼で初めて「外国」を見た瞬間だった。
 終点で降りると、なぜか雨が降っている。2月の北海道で雨とは想像もしていなかった。一応、傘は持ってきてはいるが、オホーツクから吹きつける強風のため、なんの役にも立たない。しかし、バスの戻りの時刻までは間があるので、トドワラをまわることにした。
 見渡す一面が立ち枯れた木、というのは確かに不思議な風景だが、はっきり言って風景を堪能する余裕などない。少しは見たものの、雨のあまりの強さに、退却せざるを得なかった。
 行きのバスの中では、他の観光客とは話さなかったが、お互いに悲惨な目にあったためか連帯感のようなものが生まれ、皆で雑談をした。といっても簡単な自己紹介以外は、「まさか冬の北海道で雨が降るとは」という会話に終始したが。うち一人はスキーウェアを着ていたが、継ぎ目から雨が入って何の役にも立たなかった、との事だった。筆者も財布を見てみたら、お札のインクが溶け、財布に色が移ってしまっていた。
 そのうちバスが発車し、根室標津に戻る。列車の発車までは時間があったので、喫茶店に皆で入った。こうして見ず知らずの人たちと楽しく話せたのもあの雨のおかげ、と思ったら少しは気が晴れた。
 帰りは途中の中標津で乗り換え、根室本線の厚床(あっとこ)への支線に乗った。北海道の東端の夜は早く、16時過ぎにはもう暗くなっていた。
 終点の厚床で降り、トドワラから同じ行程だった人と小さい店で夕食を食べた。メニューに「ジンギスカン」とあったので注文したが、「ジンギスカン鍋」ではなく、平凡な網焼きみたいなものが出てきただけだった。

 

 
4・ホロカ温泉

 かつて、帯広から北に士幌線というローカル線があった。終端部分は特に客がおらず、70年代にすでに一部を廃線にしてマイクロバスで代行輸送をしていたため、鉄道ファンの間でも特に有名で、筆者も子供の頃から興味を持っていた。
 筆者が来た時はすでに全線廃止になっていた。しかし終端部分への興味は捨て切れず、「帯広交通」の代行バスに乗った。バスの終点は糠平(ぬかびら)という所。ここまではつい最近まで鉄道が走っていた。湖などもあるせいか、ちょっとしたリゾート開発がされており、大きなスキー場があり、バスを降りたら土産物屋などもあった。
 ここから先は「上士幌タクシー」が運行するマイクロバス区間になる。客は筆者の他に二人くらいいたように記憶している。「幌加温泉」で降りると、旅館「ホロカ温泉」の車が待っていた。まわりは原生林のみで、人が住んでいる気配はない。しばらく進むと旅館についた。隣接してもう一軒の旅館がある。二軒だけの「温泉街」だ。
 道路から旅館までには短い坂があるのだが、ここだけは雪が積もっていない。常に温泉の湯を流して除雪しているのだ。よほど湯量に余裕があるのだな、と驚かされる。
 あたりにあるのは、原生林のみ。観光スポットなどは一切ない。温泉しかないのだ。
 ここに来た目的は、「上士幌タクシー」の代行バスに乗って、奥まで行くことである。温泉そのものはついで、という感じで期待はしていなかった。しかし、この温泉はいい意味で期待を裏切るものだった。内装はきわめて平凡で、飲用の蛇口とコップがある所くらいしか温泉らしさはない。しかし、一つの浴場に二つの浴槽があり、二つの源泉からまったく異なる湯が引かれていて、かわるがわる入ることができるのだ。
 さらに、料理も良かった。全て美味しかったが、特に、「虹鱒のルイベ」は絶品だった。
 翌朝は天気が良かったので、少し散歩をした。少し風が吹くと、樹についている雪が細かい氷のつぶとなって空を舞い、キラキラと光ってとても美しかった。