豪州で迷子になりかけた話
オーストラリアのケアンズ郊外で筆者のやらかしたマヌケな話です。
前編・ロープウェイでカラボニカへ
 筆者の職場ではたまに海外での職員旅行がある。最初は香港、二度目は豪州のケアンズだった。
 最初の香港では、初の海外ということもあり、ほとんど団体にくっついて行動していた。ただ、短い自由行動の時は一人で郊外をフラついてみた。その時は交通機関なども無事に使え、特にトラブルもなかったので、ちょっと自信(?)をつけていた。
 そこで、二度目の豪州・ケアンズでは、可能な限り、一人で行動するようにした。ちなみに、筆者の英語力はほとんどゼロ、受験勉強をしていた18歳をピークに、年々落ちる一方である。会話にいたっては「いまだかつてまともに話たことはない」というレベルである。その程度の英語力で一人でフラつこうというのだから今振り返っても相当呆れた話だ。
 到着が早朝4時だったので、まず朝食をとってすぐ寝た。目が覚めたら12時をすぎていた。実はこれが悲劇(?)の始まりだったのだが、この時点ではまだ気づくよしもない。
 この日、目指したところはケアンズ郊外のクランダという観光地である。ガイドブックによると、ケアンズからは鉄道とロープウェイがあるというので、両方使ってみようと考えた。
 行ったのは11月、北半球でいうところの5月に相当するわけだが、ケアンズは熱帯に位置するので、真夏である。といっても湿度はさほどではないので、あまり気にならない。ホテルから10数分歩いたところにバスターミナルがあった。
 ここからバスでロープウェイの駅のあるカラボニカという所に行くつもりだった。しかし、ロープウェイの駅といっても、さほどたいした観光資源とみなされていないのか、あるいは乗合バスはロープウェイのアクセスとみなされていないのか、案内はどこにもない。
 そこで、バス停の路線図を見て、カラボニカを探した。いくつかのバス停を見た時、路線図のはずれのほうにやっとカラボニカという文字を見つけることができた。
 しばらく待つと、地図に書かれた系統番号のバスが来た。念のため、運転手に「Dose this bus go to Caravonica?」と尋ねた。運転手が「Yes」と言ったので乗り、バスは発車した。
 しかし、どうも様子が変だ。運転手は顔見知りの客に「なんであの日本人はカラボニカなんぞに行くのかね」みたいな感じで話している。実際、いくらカラボニカに近づいても、一向に「ロープウェイはこちら」みたいな表示もない。とにかく、カラボニカに着いたのでバスから降りた。
 降りてもバス停前に学校みたいな施設があるだけで、ロープウェイらしきものは見当たらない。これは失敗したか、と思いながらも、一応山に向かって歩き出した。
 すると意外にも、すぐにロープウェイが見えた。一応、大きな表示もある。ただ、駅の向こうには大きな道があり、看板もそちらに向いている。おそらく、バスや車で行く人はその道を使っているのだろう。
 切符は簡単に買えた。ロープウェイと書いたが、実際はスキー場にあるようなゴンドラリフトで、待たずに乗れた。とりあえず、麓を見る向きに座る。強い日差しに光る海がとてもきれいだった。
 ここの森はいわゆる「熱帯雨林」で、ガイドブックによると「樹冠」が見える、という事なのだが、そのへんの知識に疎い筆者には何がなにだか解らなかった。というか、「熱帯雨林」というと、ヤシや木のシダが生えている、という先入観があったため、「案外普通の森なんだな」と思ったくらいであった。
 途中には駅が二個所ほどあり、そこには森林内の遊歩道などもある。歩いてみたが、やはり驚きのようなものはなかった。もっとも、ロープウェイで見たり数分あるいただけで「熱帯雨林」というものの何たるかが分かるわけもないのだが・・・
 何度か乗り継いだ後、ついに終点のクランダについた。とりあえず帰りの列車の時間を確認しようと鉄道の駅に行く。すると最終は15時でもう出てしまっていた。仕方がないので帰りのロープウェイの切符を買いに戻る。すると駅員は「もう時間だから売れない」と返事をした。
 確かにガイドブックにも「16時まで」と書いてあった。しかし、昼まで寝ていたのと、日照時間の長さで時間の感覚が狂っていたのだ。はっきり言って、ロープウェイの終了時刻の事など、頭の片隅にすらなかった。
 ガイドブックにはバスの事は書いてなかった。というわけで公共交通機関で帰る術はない。正直言って途方に暮れた。


後編・火事場の英語力?
 非常に困ったのは事実だが、戻るためにはとしてはタクシーに乗るしかない、という事はすぐに理解した。まず、タクシー会社の電話番号を調べなければならない。駅の近くに飲み屋兼場外馬券売り場があったので、とりあえず入って「Please tell me taxi's telephone.」尋ねてみた。我ながらひどい英語だが、簡単な言葉なだけに理解してもらえて、番号を教わった。
 しかし、公衆電話が見当たらない。さらに持ち合わせの硬貨が公衆電話に使えるかどうかもわからない。そこで、テレカを売っている所を探すことにした。幸い、小さな町という事もあり、すぐに郵便局兼電話局みたいな所が見つかった。そこでテレカを買い、表で電話する。とりあえずケアンズに行くことと郵便局前で待っているとの旨を伝えるだけなのでさほど苦労はしなかった。
 あとはタクシーが来るのを待つばかりだが、来るまでの時間というのは非常に不安である。「万が一気づかれなかったらどうしようか・・・」とか不安でならなかった。しかし、5分くらいたったとき、それらしい車が現れた。日本のと違って正面や上の表示がないが、雰囲気で見当がついた。
 一安心してタクシーに乗る。ところが助手席には「先客」がいる。タクシーも相乗り可能なのだ。その「先客」はやせた老人で、褐色の肌をしていた。運転手さんは慣れた日本語で「彼はアボリジニの人です」と説明してくれた。タクシーはクランダ近郊の家まで行って彼を降ろした。
 後はケアンズに戻るだけである。運転手さんはまたまた慣れた日本語で「シートベルトをしてください」と言い、空いている山の中の道を快調に飛ばした。乗っているうちに眠ってしまい、気がついたら目的地のホテルについていた。
 タクシー代は日本円にして5000円と高くついたが、無事戻れた事と、普通ではできない経験ができた事を考えれば、損をしたとは言えないだろう。

 今振り返ってみると、自分がタクシー会社への電話などでどういう英語を使ったのか覚えていない。おそらく、とてつもなく稚拙なものだったのだろうが、気合で通じたのだろう。もっともこのようなマネはもう二度とすることはないだろうが・・・。

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