風ぐるま

2011/1/15

 五年ほど前から千代田区で働いている。たまに、職場近くを歩くのだが、奇妙なバス停とそこに止まるワゴン車をたまに見かける事があった。ワゴン車は10人乗り位で、ボンネットに「四ッ谷−あきば」と経路が、脇には「風ぐるま」と愛称と覚しき名前が書いてある。バス停に書かれている路線図はかなり細かい。そして、運賃は100円となっている。
 運営は千代田区が行っているようだ。最近は、このような自治体が小型公共交通機関を運営しているのはよく見かける。しかしながら、ワゴン車が走っているのは他では見たことがない。
 いったい、どのような運用をしているのか、と以前から気になっていた。しかしながら、乗る用事もないうえに、本数も非常に少ないため、実際に乗って調べる機会を持つことはなかった。

 ところがある土曜日、午前中だけ仕事をして帰ろうとすると、ちょうど四ッ谷のバス停にその「風ぐるま」が止まっていた。そこで時刻表を見たところ、10分程度待てば乗れることが分かった。この機を逃しては次にいつ乗れるか分からないと思い、10分ほど待つことにした。
 手前に止まっていたワゴン車が動き出し、扉が開く。ここが始発のはずだが、なぜか先客の老人がいた。路線図を見た限り、循環経路ではないはずだ。それに、先程からバス停の手前で待機していたはずなのに・・・、と驚きつつ運賃箱に100円玉を入れた。
 すると、運転手さんから、「どこまで行かれますか?」と尋ねられた。秋葉原、と答えると、「40分くらいかかりますが大丈夫ですか?」と念押しされた。
 路線図を見ると、秋葉原までのバス停は16ある。普通、この近辺のバスなら、所要時間は「バス停×分」なので、20分もあれば行くはずだ。
 それだけに驚いたが、こちらは秋葉原に行くことでなく、これに乗ることが目的なので、「はい。大丈夫です」と答えて椅子に座った。
 しばらくすると、老女が乗ってくる。偶然にもこの人も秋葉原が目的地だったため、筆者と同じ会話が展開された。
 車内を見回すと、いろいろと興味深いことがわかった。まず、この乗り物の定義だが、バスではなく、「福祉タクシー」という位置づけであることがわかった。そういう事もあり、後ろのドアには車椅子のリフトがついている。また、乗車はバス停の標識があることろだが、下車は原則としてどこでもできるとも書いてあった。

 そのような車内表示を見ているうちに、定刻となり、「風ぐるま」は新宿通りを走り始めた。経路・バス停とも、都03系統・四谷駅−晴海埠頭と同じである。二つ目のバス停で、老女が乗った。先ほどとちがって、運転手さんは行き先を尋ねたり所要時間を尋ねたりはしない。そして、彼女は動き出してしばらくしたら、「そういえば、定期を見せるのを忘れていた」といって、定期券を提示した。どうやら常連さんのようだ。
 新宿通りを走っていた「風ぐるま」は、麹町二丁目の交差点で左折した。この道は、かつて都バスの茶81系統・渋谷駅−順天堂病院間のバスが走っていた通りだ。高校時代、このバスを使って、放課後に神保町へ通っていた身としては、非常に懐かしい道である。
 幅が狭くなったので、反対側のバス停も見える。「五味坂」というバス停に停まった時、向かい側には交番があり、バス停名も「五味坂交番前」となっていた。かなり細かくバス停名をつけているものだ、と驚いた。
 途中、老人と母子連れが乗ってきた。母子連れは「保健所まで」と降車場所を告げていた。また、二つ目のバス停から乗ってきた老女は、「大妻の前で」と言って、停留所のないところで下車していた。
 「風ぐるま」は、通りを直進し、靖国通りにぶつかって右折した。このあたりも、かつての茶81系統と同じだ。そして、九段坂を快適な速度で下っていった。正面には建設中の東京スカイツリーが見え、なかなかの車窓風景だった。
 そして、坂を下ったところで急に左折し、かつての茶81系統と別れを告げた。曲がった所には保健所があり、先ほど乗った親子連れが降りた。さらに、細い道をめぐるましく曲がる。そして、「西神田コスモス館」という区営住宅を経由し、高齢者センターに停車した。
 ここは、この「風ぐるま」の中心的なターミナルのようで、四谷駅の前から乗っていた人を含め、二人の高齢者の方が下車し、代わりに一人乗車した。
 ここを出ると、再び靖国通りに入り、茶81系統の経路に戻った。しかし、神保町にも駿河台下にもバス停はない。そして、駿河台下をそのまま直進した。経路には御茶ノ水と書いてあったので少々驚いたが、次の角で左折し、またもや細い道に入って坂を登った。
 このあたりには中学時代に通っていた塾や高校時代に通った予備校がある。その頃を思い出したりしているうちに、「風ぐるま」は左折して雁木坂に入り、日大病衣の入口前で停車した。
 日大病院に通う人が少しでも楽に行き来できるために、わざわざこのような細い道を経路に選んだのだろう。そして、直進した「風ぐるま」は、再び、駿河台下から御茶ノ水駅に向かう通りとぶつかる。
 しかし、またもや御茶ノ水駅を無視し、そのまま直進した。この通りには、筆者の通っていた大学があり、かつての「通学路」である。その頃は、ここを公共交通機関で通る日が来るとは夢にも思っていなかった。
 そして、大学の校舎群、さらには隣接する予備校の前を通りぬけると、「風ぐるま」は二回右折し、三度目の正直(?)で、ついに御茶ノ水駅の方向へ向かって走りだした。
 そして、2010年開業の障害者福祉センターの前につくと、建物の中に入っていった。そこには転車台があり、「風ぐるま」はそれに乗って一回転した。
 この転車台を利用することにより、センターの利用者は玄関を出た所で、「風ぐるま」に乗れるわけである。普通に道にバス停を設置した場合と比べ、移動する距離は50mもない。健康な人なら、数十秒歩くかどうかの違いだ。しかしながら、ここを利用する一部の人にとって、その数十メートルを歩くか歩かないかでは大きく違うのだろう。
 そんな事を考えながら、転車台に乗っていると、運転手さんが施設の人に「入り口の中に人がいるが、これに乗るつもりではないのか?」と声をかけていた。すると、施設の人はその人に確認し、別の経路の「風ぐるま」を待っていると告げた。それを聞いた運転手さんは、御茶ノ水駅に向けて「風ぐるま」を発信させた。
 御茶ノ水橋を渡ると、右折したバスは外堀通りに入って秋葉原に向かう。このあたりは、堀に沿って古い建物が並んでいる。
 そして、石丸電機の建物が見え、秋葉原地区に入った。中央通りを曲がってしばらくすると、近日発売の美少女ゲームの宣伝カーとすれ違った。秋葉原では普通にあることで、筆者も見慣れてはいる。しかしながら、ずっと「風ぐるま」で千代田区の落ち着いた街並みの中を走り続けた直後なだけに、なんか突如異世界に移ったような気持ちになった。
 ベルサール秋葉原の所で中央通りを右折する。角にあるマクドナルドを過ぎ、UDXビルとダイビルの間のあたりに着くと、乗っていた一人が「マクドナルドの前で」と言った。「今、通り過ぎたばかりでは?」と思ったが、バスはそのまま秋葉原西口駅前広場に入った。そして、広場に面しているマクドナルドの前でその人を降ろすと、バスターミナルに入って、バス停に到着した。

 車椅子専用のリフトまで備え、地域の「交通弱者」の要望をきめ細かく応える運行方法は、強く心に残るものだった。
 この数十年の間、公共交通機関は常に収益が重視され、それによって多くの路線が廃止された。そんななか、このような収益よりも地元の人の便利さを優先して運営される公共交通期間の存在を知ることができたのは、興味深いことだった。今後、このような交通機関が増えるような時代になればいいものだ、と強く思った。
 また、麹町や半蔵門駅周辺の街並み→スカイツリーを正面に九段坂を一気に下る→「福祉タクシー」らしく細い道を頻繁に曲がりながら、各施設の前に止まっていく→御茶ノ水から濠沿いを走り、最後は電気街を突っ切る、という経路は、非常に変化に富んでいた。したがって、バス好きとしても十分に満足できた路線だった。