2003年11月後半のつれづれの日々(更新情報)
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2003/11/30(日)
 今日は雨で蒸した事もあり、ちょっと体を動かすだけですぐ汗をかくほどでした。夕方に乗った電車では窓が開けられており、とても明日から12月とは思えません。来週の天気予報で気温を見ると、毎日最高気温は12度以上で、火曜日などは17度だそうです。まあ、朝などは楽なのでいいのですが、やはり不気味です。
 ところが、新聞などに載る温暖化対策とかいうと、すぐに「二酸化炭素の排出量を発展途上国から買う」みたいな話になりますが、そういう金勘定けレベルの話ではすでにないと思うのですが・・・。まあ、ああいう人たちは自分の生きている間の事と、子孫に形のある財産を残す事しか考えていないのだから仕方ないのでしょうが・・・。
2003/11/29(土)
 ネット関連の企業で、無料プロバイダのLivedoorを昨年秋に買収した「エッジ」という会社が、来年2月から商号をLivedoorに変更するそうです。ちなみにこの会社、今年の4月にそれまでの「オン・ザ・エッジ」から「エッジ」に改名しているので、10ヶ月の間に2回改名した事になります。
 いろいろな戦略があっての事でしょうが、名前の変遷だけ見ていると、「ひさしを貸して母屋を取られた」的なイメージがつきまといます。さらに言うと、知り合いのLivedoorの会員の話を聞く限り、このプロバイダには「つながらない上にサポートが悪い」という印象が強いので、社名変更がマイナスになるのでは、と他人事ながら心配してしまいます。
 まあ、10ヶ月で2度社名を変えるくらいですから、うまくいかなかったら、また名前を変えるのでしょう。気の早い話ですが、もしそのようになったら、Livedoorとならぶ同社の主力商品であるLindowsを社名にして、社のトレードマークをG氏タコなぐりにしてくほしいものです。
 それにしても、そんなペースで社名を変えられると、社員は大変ですね。
2003/11/28(金)
 商品先物取引の会社と関わって、一千万円以上も損をした人の話を読みました。「少額の出資で必ず儲かる」で始まって、「追加証拠金を払わないと元も子もない」とせっつかれ、最後に清算したら数割しか帰ってこなかった、という記事でした。これは、10年前に描かれたナニワ金融道にあった「先物取引に手を出して、地位も財産も全て失った人」のエピソードと全く一緒の話です。こういう業者は、何十年も同じパターンで新規開拓をしては、「被害者」を増やして、収益を上げ続けているのでしょう。
 その中の大手の業者の一つが委託証拠金の返還を求める顧客に対し、拒否や遅延を行ってトラブルが相次いでいるとの理由で改善命令を受け、さらに業務停止処分を受けたそうです。そして、その会社から献金を受けていた自民党議員は今月になって返金したとのこと。ちなみに、1998年には商品取引法の「大改正」があり、それによってより被害が広がる(=業者はたくさん儲ける)ようになったそうです。その実現のために、さぞかし献金も活躍したことでしょうね。
 このような「どんなカネでもたくさん儲ければ政治すら買える」という事例を見ると、いくらそれが「現実」とわかっていても、釈然としない物を感じます。
2003/11/27(木) −アクセス数が50000を越えました。ありがとうございます。−
絵画館を更新しました。
 以前から代理人交渉すると宣言していた上原投手が、読売球団との契約更改で予告通り代理人同伴で交渉にのぞみました。そして、同弁護士がこの日までに複数回にわたって三山秀昭球団代表と話し合いを続け、合意に達していた。という下交渉のおかげもあり、更改は1回で完了。上原投手自身が「お金の話を僕自身はしたくなかったので、やってよかった。」という結果になりました。
 ところが、社の方針で代理人交渉を否定している読売の球団代表によるとこれは「代理人交渉ではない」との事です。書類が不備、との事ですが、ではなぜそのような人物と何度も交渉し、本番にも同席を認めたのでしょうか。まあ、任侠の世界の「親分が白と言えばカラスも白い」と同じで、このグループでは「オーナーが認めなければ代理人を使っての交渉も『代理人交渉ではない』」なのでしょうか。
2003/11/26(水) 旅行記と地元ネタを更新しました。
 9月につぶれた西友幕張店には、500円払って会員になると煮炊き用のイオン水を1日2リットル貰える「良水倶楽部」という企画がありました。かなり愛用していたのですが、当然ながら閉店とともにそのサービスは終了したのですが、先日、西友津田沼店に行ったら、新たに同様のサービスが始まっていました。新サービスなのはいいのですが、機械はどうみても新品ではなく、しかもやけに既視感がありました。店員に尋ねたところ、やはり幕張店から持ってきた、との事でした。津田沼から電車に乗って2リットルの水を持っていくのはなかなか大変ですが、嫁さんはさっそく再加入していました。
 機械とはいえ、意外なところで再会すると、何とも言えない懐かしさと喜びを感じるものですね。
2003/11/25(火)
 オーストラリアからイスラム圏に輸出する羊に豚肉を食べさせ、イスラム教徒が食べれないようにした「動物愛護団体」がいたそうです。オーストラリアでは家畜に肉を食べさせるのは、BSEの危険があるからと、法律で禁止されているにもかかわらずにも行われた「犯行」とのことです。なんでも、「羊を長時間船に詰めるのが残酷だ」という事での抗議だとのことですが、そのためなら、羊をBSEの危険にさらしてもいい、という事なのでしょうか。個人的には、宗教的・民族意識な差別意識みたいなものしか感じません。少なくとも、これを「動物愛護団体の行動」と報じるのは、真面目な動物愛護団体に非常に失礼なのでは、と思いました。
2003/11/24(月・休) 漫画図書館を更新しました。
 久しぶりに都営三田線に乗ったら、大手町駅と日比谷駅が「ホーム全体に一企業の広告を掲載」というデザインになっていました。日比谷駅はドリンク剤「リゲイン」の三共で、大手町駅は読売新聞です。
 読売新聞のほうは、当然ながら、所持球団の選手の写真が掲載されていました。ところが、その組み合わせが沢村栄治氏・長嶋茂雄氏・王貞治氏(現・ホークス監督)という組み合わせなのです。この三人を入れるなら、現役・引退後を通して読売一筋で在籍し、選手としても監督としても高い実績を挙げた川上哲治氏が入るのが普通です。何か社内の力関係に基づく意思(長嶋氏との確執とか)が働いたのでしょう。とはいえ、なんか大人気ない話ではあります。ちなみに、大阪の南海ホークス記念館みたいな所でも、4半世紀前の退団時のゴタゴタを引きずっているのか、野村克也氏に関する記載・展示は一切無いそうです。
 別に社内の偉いさんとの人間関係と、その人の選手・監督として球団に残した実績は何ら関係ないと思うのですが。意外なところで、「企業が球団を保有している」「親会社のオーナーが絶対」といった日本野球界の体質を見せられました。
2003/11/23(日)
 電車に乗っていたら、「サザエさん」を使った船舶会社の広告と、「楽しいムーミン一家」を使った大学の広告が並んで貼ってありました。子供の頃、日曜の夜に「サザエさん」「マジンガーZ」「ムーミン」を続けて見るのを毎週楽しみにしていた身としては、つい「間に『マジンガーZ』が入っていたら完璧なのに」などと思ってしまいます。
 また、大学の広告に「ムーミン」というのを見て、「そう言えば、今の大学生はムウミン谷の攻防が描かれた頃に生まれているんだよな」などと感慨に浸ってしまいました。

 話は変わりますが、熊本の温泉旅館がハンセン病の元患者の宿泊を拒否した件で、ハンセン病療養施設に嫌がらせの電話・FAXが70通も来たそうです。しばらく前の「日テレ視聴率買収」の時は、あたかも「多数の抗議の電話が国民の怒りを表している」みたいな報道がされましたが、これもやはり「国民の怒り」の表れなのでしょうか。
 何度も書いていますが、自分の名前も所在も知らせずに、一方的に見も知らぬ相手を罵倒するなどという事は、「抗議先」が正しかろうと悪かろうと関係なく最低の行為です。これを機に、「抗議電話が何件来た」などという事を国民感情の指標にするような報道は見直してほしいものです。
2003/11/22(土)
 駅から歩いて12分の所に建設中のマンションが、売れなくて困っているようです。なぜそれが解るかというと、連日のように、このマンションの宣伝チラシが郵便受けに入っているからです。しかも、チラシにはそれぞれ異なる担当者名が明記してあり、「電話をするなら、その名前宛に」とも書かれています。売れないから、担当者への歩合を上げて何とかしようという発想なのでしょう。別にマンションを買う気などないのですが、これほどまでに切羽詰った様子が伝わってくると、「なんか致命的な欠陥でもあるのか」とか「会社が危ないのか」などと他人事ながら気になってしまいます。というわけで、売りたいからといって、あまり積極的過ぎるのも逆効果なのでは?などと思いながら、毎日来るチラシを処分しています。
2003/11/21(金)
 新聞報道などでやけに「国民的人気」だの「人気爆発中」などという形容詞をつけられている自民党の安倍幹事長の提灯記事がある雑誌に載りました。この人に関するマスコミの賞賛記事は、「自然発生的に国民の人気が高まった」みたいな書き方をします。上記の記事に代表的見本と言えるでしょう。しかし、実際のところ、マスコミがもてはやす前から、氏の言動なり人となりが、一般市民レベルで話題になったり、ネットで個人が取り上げた、などという話は、少なくとも私の身近にはありません。
 ちなみに、本人は「49歳の自分が幹事長になったのだから自民党は変わった」とよく言います。しかし、その出世の原動力は祖父・親から引き継いだ地盤と、森喜朗前首相率いる派閥のおかげでしかありません。まあ、そのような「自民党的構造」がより露骨になったのが、「自民党は変わった」という事なのかもしれませんが・・・。
 いずれにせよ、提灯記事を書く時には、実在しない「多くの国民」をダシにするような姑息な事をせず、「社の方針で彼を持ち上げる事にしているので」と正直に明記してほしいものです。
2003/11/20(木)
 徳島自衛官死亡事件で、遺族の要請を受けて再捜査をした(?)徳島県警は、結論として「他殺ではない」と発表をしました。警察の体質からして、当然過ぎる発表です。
 そしてそれを報じた記事(ヤフー《時事通信より》地元新聞)を見ましたが、いずれも、警察の発表をそのまま流しているだけです。一応、地元新聞には遺族の発言も見出しに含まれていますが、「県警側」の記事が39行なのに対し、「遺族側」の記事は11行しかありません。これでは何も知らないで見た人は、「遺族がいちゃもんをつけているが、やはり警察が正しかった」としか解釈できないでしょう。
 少なくとも遺族側は100%反発しているのですから、両方の見解は同じ量だけ載せるのか、「県警側の記事」「遺族側の記事」を併記するのが当然ではないでしょうか。また、遺族のWebサイトのURLも載せるべきです。
 地元新聞も、遺族の活動は何度か取り上げていたようです。しかし、重要な所での報道は、この始末でした。警察の「体面第一主義」の体質はもちろんですが、マスコミの「警察発表第一主義」の体質も問われている事件と言えるでしょう。
2003/11/19(水) 野球見物日誌を更新しました。
 駅を出たところの公道上に、利息制限法違反の金融機関と売買春仲介サイトの宣伝看板が置かれています。看板といっても電柱に立て掛けられているような安物ではなく、金属製で立派な脚もあり、バイク用チェーンでガードレールに固定されている、という本格的な(?)ものです。
 ただでさえ目障りなのに、先日それが夜中に何者かにボコボコに変形され、より通行の邪魔になっていました。朝の通勤時など、つまずきかねません。それほどまで迷惑な存在であるにもかかわらず、放置されたままです。千葉市も、埋立地にサッカー場なんかを造る予算があるのなら、こういう公共の迷惑を除去するのにほんの一部でも割いてほしいものです。
 それにしても、ヤミ金はともかく、こんな駅前の道路上に売買春仲介サイトのURLつき看板を立てたところで、それを携帯に入力して、そのサイトにアクセスする人なんかいるのでしょうか。駅前でいかがわしい看板の前に突っ立って携帯を操作している姿ってかなりマヌケだと思うのですが。
2003/11/18(火)
 大分に、立命館アジア太平洋大学というのがあります。建学の精神の一つに 「アジア太平洋学」という新しい分野を切り拓く があるそうです。「アジア+太平洋」となると北はアラスカで南はマゼラン海峡、西はトルコですから、ほぼ世界の半分になってしまいます。グレートバリアリーフの生態を研究するのも、イスラム教の歴史を研究するのも「アジア太平洋学」に含まれそうです。新たな学問を切り拓くのは結構なことですが、ちょっと広すぎるような気がしないでもありません。そのうち「アフリカ大西洋大学」なんてのも誕生するのでしょうか。
2003/11/17(月)
 1992年から2001年まで毎週土曜日に朝日新聞夕刊で秋月りす先生が連載していた「どーでもいいけど」が単行本化されたので早速購入しました。年ごとに章立てされていて、最初に「その年に起きた主な出来事」が記載されていました。解っていた事ではありますが、ろくでもない事件が多く、まさしく「失われた13年」である事を実感させられました。
 その中で一番面白かったのは、「政党の離合集散」でした。羽田孜元首相が「太陽党」なんてものを作っていたなんて、すっかり忘れていました。他にも「こんな政党あったっけ」みたいな政党名がゾロゾロ出てきました。「助成金」という具体的な利益があるためとはいえ、よくもまあ節操もなく政党を作ったり潰したりしたものだ、と感心させられました
 もちろん、漫画そのものも、そのあたりを含め、独自の視点で世相を描いている秀作で、お勧めです。
2003/11/16(日) 電算室を更新しました。
 毎年秋になると、土休日の夕方に中央線から千葉方面への臨時列車が走ります。昨年までは臨時特急と臨時快速があったのですが、9月頃の時刻表を見たところ、9・10月に臨時特急が走っているのみでした。毎週土曜日が仕事なので、帰宅時にあわせて新宿を出る臨時快速は週に一度の貴重な楽しみだったので、昨年で終わったのかと残念に思っていました。ところが、先週、新宿から帰ろうとすると、「臨時快速・千葉行き」という表示がありました。「時刻表を立ち読みした時に見落としていらしい。という事は9・10月の間ずっと、乗り逃していたのか・・・」と非常に空しい気分になりました。
 しかし、家に帰ってネットで確認したところ、臨時快速は11月第2週以降のみの運行とのことでした。それを知って心底安心しました。たかだか週に1回の臨時快速で、ここまで落ち込んだり喜んだりするのか、自分のことながら、本当に不思議です。




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