| 基本データ・マリーンズとタイガースのファンで読売およびそれを過度に報道するマスコミが嫌い |
| 1969年 | 出生。 |
| 1973年頃? | 普段はどちらかというと厳格な父が、たまにラジオを聞きながら歓声を挙げるのを不思議に思う。なんでも「ハンシン」なるものが勝つと起きる現象だと母に教わる。 |
| 1975年 | 本で「野球」の存在を知り、興味を持つ。住んでいる団地の野球遊びに入れてもらう。
父親に反抗(?)して読売ファンを称するも数ヶ月でやめる。しかし相変わらず反抗して特に理由もなくドラゴンズのファンに。 |
| 1978年 | 結局、いつの間にかタイガースファンになっていた。この頃、地元の野球チームに入るも全然使えず。転居とともにやめた。 |
| 1979年 | 夏に西宮市に転居。タイガースファン度に磨きがかかる。さらに地元ついででブレーブスのファンにもなった。翌80年夏は、入場料がタダのため、甲子園の高校野球に通いまくった。 |
| 1981年 | 前年秋に東京に戻る。この頃から、クラスメートにもプロ野球好きが増える。ただ、タイガースファンは自分だけなので孤立する。 |
| 1985年夏 | 高校に入り、夏休みに後楽園球場でサントリーのビール販売のバイトをする。ご存知の通り、この年、タイガースは優勝するのだが、夏休みの間は冴えず、お盆に後楽園で三タテをくらったりしていた。夏休みが終わってもたまにバイトをし、掛布選手がカムストック投手から決勝打を打って勝った試合までバイトをした。ちなみにこの日は、96本売れた。 |
| 1985年10月16日 | 神宮球場でリーグ優勝を決めた試合を観戦する。 |
| 1988年 | 阪急がオリックスに球団を売却するも、「ブレーブス」の名を残したため、引き続き応援。よく川崎球場の対オリオンズ戦を見に行った。 |
| 1991年 | オリックスが新愛称を公募。「ブレーブス」と書いて投票したが採用されず、「ブルーウェーブ」となってしまったため、ファンをやめる。一応、ファンというほどではないが、マリーンズをなんとなくひいきにする。 |
| 1992年 | 就職し、職場の野球チームに入る。三振・失策数でチームNo.1に。打率は0割5分くらいだった。また、職場が神宮球場に近いので、タイガース対スワローズ戦をちょくちょく見に行くようになる。 |
| 1995年 | マリーンズのバレンタイン監督解任がきっかけで、応援をやめる。 |
| 1998年 | ベイスターズファンの嫁さんと結婚し、千葉に転居。広岡GMらが解任されていたため、再びパではマリーンズを夫婦で応援することに。マリンスタジアムにちょくちょく行くようになる。 |
| 2002年 | スカパーに加入。新プロ野球セットに加入し、テレビ中継を見る時間が飛躍的に増大。 |
| 2003年 | 新プロ野球セットMAXに切り替え、毎晩のプロ野球ニュース(CS)を見る生活に。マリーンズのファンクラブに入り、マリンスタジアムに通い始める。 |
| 2004年 | 前年秋の優勝でタイガースファンに一区切りをつけ、バレンタイン監督復帰もあってマリーンズファンに転向。夏に発生した「球界再編」でマリーンズが削減の対象として挙げられた時は、プロ野球ファンからの撤退まで検討するほどだった。 |
| 2005年 | 開幕戦からマリンに行くなど、アジアカップ・パブリックビューイングをを含めると計34試合を球場観戦。交流戦優勝から「アジア制覇」までを存分に堪能した。 |
| 家族構成 |
| 嫁さん | 1980年代半ばの「スーパーカートリオ」がきっかけでホエールズ(当時)のファンに。今でも筋金入りの「ホエールズ」ファン。元週刊ベースボール読者投稿欄常連。現在は筆者ともにマリーンズを応援している。 |
| 父 | 最近はそれほどでもないが、若い頃からの熱烈なタイガースファン。私の父に対する最初の記憶は、風呂にラジオを持ち込んでタイガースの得点に喜ぶ姿である。 |
| 母 | 野球に興味なし。 |
| 姉 | タイガースファン。夫はベイスターズファン。娘(筆者にとっての姪)はスワローズファン。 |
| 上の弟 | 王貞治ファン。2005年はホークスを追って北は仙台から南は横浜まで6球場で観戦。勝率10割を誇った。 |
| 上の妹 | タイガースファン。夫もタイガースファン。 |
| 下の妹 | 野球に興味なし。夫はタイガースファン。 |
| 下の弟 | 松井秀喜選手が好きだったため読売ファンだったが、数年前「ナベツネの横暴が嫌で」と読売ファンをやめた。 |