題名を見ると、ロマンティックな恋愛話を想像させられるが、話は全く持って異なる。実際問題として表題で「恋」とされているものは不倫だし、その動機も「愛」というよりむしろ「逃避」だ。そして、ドロドロとした愛憎が展開されるのだが、最後に衝撃的な結末が待っており、それを見たとき、筆者は開いた口が塞がらなかった。
主要キャラは小早川伸木・その妻妙子・伸木の恋の相手である作田カナだ。そして、妻の妙子は存在感・出番・設定の深さなど、伸木よりもむしろこちらが主役でないかと思われる。
彼女は、幼少時に母親に虐待された事が心の傷となっている。その後、その容姿故に男子にもてる学生時代を過ごして劣等感はかなり解消されたが、「親の愛がなかった」という傷をかかえたままだ。そしてOLになった妙子は、ある日の合コンにおいて初対面で気に入った伸木を、酔ったふりして部屋に連れ込み、そのまま関係を作る。そして二人は付き合いだし、横柄な先輩の引っ越しを手伝った際に、腹を立てた妙子がリモコン一式を捨てた事で伸木は好感を高め、結婚へと進み、長女・みすずをもうける。
しかし、8年目の今では、伸木が浮気していないかばかりが気になり、精神状態がおかしくなりつつある。それを許容しきれなくなった伸木が、家庭と仕事に疲れた頃から話は始まる。
一方、「恋」の相手の作田カナだが、これまたものすごい完璧超人だ。まず容姿だが、既に40代半ばにかかわらず、20代とも思える美貌を保っている。その美貌は60を過ぎても衰える事なく、小早川の娘・みすずに「化け物」と呼ばれたほどだ。
しかしその美貌を上回る内面のすごさを持ち合わせている。京都の芸妓の家に生まれながら、その仕事をするのが嫌だった彼女だが、大金持ちの鯵澤に見初められ、やがて後妻になる。そこで芸術的な素養を身につけ、さらに鯵澤の遺産120億円(!)を相続するが、それをあっさり放棄(!!!)。そして東京に出てフリーライターをやりつつ、盆栽教室に出入りし、そこで小早川と出会うのだ。
それに対する小早川伸木だが、この強烈な妻の陰に隠れて、彼の個性が伝わってこない。強いて言うなら、二つの相反することを同時にやろうとして、結局抱え込みすぎて自分の負担になる、という割りの悪い性格が特徴になるのだろうか。
仕事においては、強大な権力を利用して公私混同で私腹を肥やしてきた上司・美村教授に疑問を持ちつつも、過激な改革指向を持つ後輩・沼津の行動をもてあまして押さえ込んだりする。そして、自分の部内の仕事で手一杯に関わらず、他部署の問題まで抱え込もうとする。その上、家庭内の問題を解決しようと、徹夜で妻をドライブに連れて行きつつ、カナへの恋心も抑えきれないのだからたまったものではない。心身ともに疲れ果てる。
先述したように、カナは完璧超人だし、伸木は受容するだけの男だ。というわけで、相対的にも妙子のキャラばかりが目立ってしまい、したがって、伸木とカナの間に繰り広げられる「小早川伸木の恋」はかすんでしまうのだ。そして妙子の強烈なキャラばかりが目立ってしまう。
とにかく、この妙子というキャラ、自ら「夫がぶつかった電信柱にまで嫉妬する」と公言するほどの人物だ。そして「有言実行」でとんでもない事を連発する。特に凄いのは、忙しい中、伸木が無理して休みを作って二人で行った温泉旅行の時だ。せっかくの二人の時間だからのんびり過ごせばいいものの、何と妙子は宿の女性従業員が感じがいいのを見て、「伸木に気がある」と思いこみ、それが気になって旅行どころでなくなってしまう。そしてまた、「偶然、深夜に混浴の大浴場で伸木とその女性従業員が一緒になってしまい、それを妙子が目撃して旅行は中止」となるのだ。余談だが、実際問題として、高級温泉宿の混浴大浴場で男性客と女性従業員が一緒になる、という事はあるのだろうか。ちょっと疑問だ。
もっとも、実際に、カナに恋しだした伸木は、仕事の忙しさにかこつけて、帰宅せずにカナの所に行き、彼女に誘われて関係を持っているのだ。実直そうに見えるが、妙子の時といい、「据え膳」に目がないわけだ。そう考えると、実は伸木はかなりだらしない。
そのカナとの関係をはじめ、様々な事が気になる妙子は、伸木を監視するために、彼の勤める大学病院にパートに出る。ところが、そこで知り合った大学生・金井潤に惚れられてしまい、その流れで一度ならずホテルに行ってしまうのだ。浮気を監視するつもりが逆に自分が浮気してしまったわけだ。極めて偏向しているとはいえ、さんざっぱら、「伸木への一途な感情」を見せられながら、この突然の浮気には驚かされた。そして、この潤との数回の関係が実は衝撃のラストへの伏線(?)となったりする。
話の後半、カナは一度身を引き、京都に帰る。それに対し、伸木は、とんでもない方法で、彼女との関係をつなごうとする。何と、彼女の開設した盆栽サイトに、「K」という仮名を使い、自分の経歴をねつ造した上で、「一盆栽愛好家」としてメールを出すのだ。カナを忘れられなくて接触を図ろうとする考えはまあ理解できる。しかし、そこに偽名と偽プロフィールを作る神経はどうしても理解できない。
一方、後に「経歴ねつ造メール」の真相を知っても、カナの伸木に対する感情は何ら変わらないどころか、むしろ彼との愛を確信するのだ。何か女神のような許容心だが、その一方、彼女は地元での縁談があると、一度は決意した後、伸木との恋のために婚約破棄をしたりしている。どうも彼女は、伸木にとってのみの「理想的な女性」のようだ。
それでもって、結局伸木と妙子の結婚生活は破綻し、別居さらには離婚裁判となる。最初は泥沼的展開になるが、その中で、妙子は突然、伸木の弁護士である仁志に恋してしまい、同時にあれほど強かった伸木への愛情がスッと消えてしまう。そのため、裁判所でカナや伸木がする「名演説」も耳に入らず、仁志の顔ばかり見ている。もっとも、その伸木の「名演説」だが、「家を出るまでは妙子に恋していた」などと、かなり事実と異なっているのだが・・・。
というわけで、結局、「めでたしめでたし」で収まるところに収まる。しかし、肝心の伸木とカナの「新生活」に対する描写は非常にあっさりと流されている。再婚後、伸木が髭を伸ばしてカナが髪を伸ばしているが、これなど、「新生活」を表現するための苦肉の策、という感じがしなくもない。
一方、新たな伴侶を得た妙子は絶好調だ。伸木を悩ませていた偏執的な言動は、全て仁志が法律知識をもとに適当にあしらい、それで妙子は満足している。この光景を見れば伸木も「こんな対策で良かったのか・・・」と呆れるのではないだろうか。そして連れ子であるみすずと仁志との関係も極めて良好で、仁志との間の子供もできている。
この新生活の描写は、二人の独白という形で語られるのだが、その独白および絵を見ると、どちらが成功したかはよく分かる。伸木の独白は新生活の目印をひとつ作ろうとヒゲを伸ばす事にした。カナは髪を伸ばした。ますます美しく、若返って見えた。美しく、賢く、"捨てっぷり"のいい、新しいぼくの妻だ。そして二人で育てる子供達(※盆栽のこと)。その独白とともに、微笑みながら盆栽をやっている二人が描かれている。
一方、妙子の独白は、でも、あたし、今までだって一度も何も間違っていないわ。女が求めるものはいつだってたったひとつよ。あたしだけを愛してくれる、あたしだけの男・・・だ。そして、その場面では、新たな家族を見ながら、勝ち誇ったような笑顔を浮かべている妙子の顔が二回出てくる。
これを見ると、どちらが「勝者」なのか一目瞭然だ。どう考えても、夫に満足できなかった妙子が、「乗り換え」に成功したオチとしか思えない。「小早川伸木の恋」とやらは、妙子がうまく乗り換えるための口実みたいなものとしか思えなかった。
実際、この「新生活」の描写は、伸木→妙子の順になっている。つまり、本編は妙子の勝ち誇った独白と笑顔で幕を閉じるのだ。この「本編最終場面」を見る限り、どう考えても真の題名は「小早川妙子の乗り換え成功」だとこの時点では思った。
これだけでもかなり面妖な漫画だ。しかし、この作品が筆者の心に焼き付いたのは、その妙子の笑顔の後で始まる、4頁にわたる「エピローグ」に受けた衝撃が原因だった。
そこでの話はいきなり15年後に飛ぶ。舞台はかつて伸木が勤めていた大学病院。そこにかつての妙子の浮気相手であった金井潤が現れる。そのとき、偶然目にしたのは伸木・妙子の娘であるみすずだ。彼女は実父と同じ道を歩もうとしていたのだ。それが成長したみすずだと、なぜか潤は気づく。離婚直前の別居時代に、潤はみすずの面倒を見たこともある。とはいえ、それから15年ほど会っていない人の顔が一目で分かる、というのは常人ではない。
いずれにせよ、みすずに気づいた潤が声をかける。すると、みすずも好意的な反応を返し、潤を意識する。そして、二人とも、それが"恋"だとまだ気づいていなかったという、ナレーションで終わるのだ。
なぜ、これまでの話と何ら関連性のない「エピローグ」が最後についたか理解できない。だいたい、仮に本当に二人の恋が成就して結婚でもすることになったら、新婦の母・実父・継父はどんな顔をして式に出る事になるのだろう(※仁志も裁判の流れで妙子と潤の関係は知っている)。この笑撃のラストを見たとき、極めて品のない話だが、鶏肉を卵でとじたものを御飯に乗せた丼料理が頭に浮かんでしまった。
というわけで、それまで筆者にとっての「ちょっと奇妙な不倫漫画・小早川伸木の恋」は、最後の4頁のおかげで、「心に残る変な作品・金井潤の・・・」に昇華(?)したのであった。